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前川國男「日本相互銀行本店」2007/04/08 22:00:00

旧日本相互銀行本店

日本相互銀行本店
前川國男
中央区八重洲1-3-3
1952年
(2007年4月8日撮影)

呉服橋交差点にある、1952年に竣工、翌53年の建築学会賞を受賞した前川國男の代表的オフィス建築ですが、いよいよ取り壊しの様です。テナントも出てしまい、ATMコーナーも廃止になっています。(ちなみに、日本相互銀行→太陽銀行(普通銀行への転換)→太陽神戸銀行(合併)→太陽神戸三井銀行(合併)→さくら銀行(行名変更)→三井住友銀行(合併)となり、しばらく前に支店は統合廃止されてATMコーナーだけになっていました。)

このビル、今となっては、古くて狭くて使いにくい(?)ビルになってしまったのでしょうが、当時としては最先端のオフィスビルディングでした。

鉄筋コンクリートの耐震壁をなくして、建物の軽量化を図りながら、執務室を広いフリースペースとして確保していました。また、アルミ製サッシュやプレキャスト・コンクリート・パネル等当時最先端の工業化製品を用いています。

軽量化と工業化という技術的合理性を通して、建築を組み立てていくという思想(「テクニカル・アプローチ」)が実現された画期的な建築です。

Docomomo Japan「旧・日本相互銀行本店の保存に関する要望書」を引用すると、

「前川國男(1905~1986年)は、戦前にフランスへと渡り、20 世紀を代表する世界的な建築家であるル・コルビュジエ(1887~1965 年)に学び、帰国後、亡くなるまでの半世紀の長きに渡って、戦前戦後の日本の建築界をリードした建築家です。

貴建物は、まだ本格的な建築がほとんどつくれなかった戦後の復興期に、日本の新建築の進むべき方向を示そうという、前川の高い志に支えられてつくられたものです。彼は、近代技術を積極的に活用した新しい建築をめざし、率先してその方法を開発しようとしました。このような彼の考え方は、「テクニカル・アプローチ」と呼ばれました。貴建物では、徹底した軽量化を図るために、2 階までを鉄骨鉄筋コンクリート造、3 階から9 階までを全溶接の鉄骨造にし、外壁にはアルミサッシュと軽量のコンクリートパネルを採用しました。鉄骨の全溶接やアルミサッシュの採用は日本最初であり、それらによって、1 階の大スパンの大きな営業室や、軽快でモダンな外観をつくりだしました。積極的に革新的な技術を適用した意味からも、「テクニカル・アプローチ」の最初の本格的な実践例として、ひいては、近代建築史上、また、建築技術史上において、特筆すべき建物です。」

外観からして三井本館ぐらいになれば、保存の話が誰にでも分かりやすいのでしょうが、このビルぐらいだと、専門家以外にはその価値が伝わりにくいのでしょうね。

現在、丸の内に対抗して、八重洲から日本橋かけて再開発機運があるので、この立替もその一環ということでしょうか。このビルの隣も大規模再開発が完成しつつあるし、交差点対角上の大和證券本店(このビルはクレージーキャッツの映画のロケに使われたそうです)も立替が決まっています。

銀行のオフィスとして利用保存は難しいでしょうから、本当なら、リノベーションの上で利用保存ができれば一番良いのでしょうが、経営的には困難かもしれませんね。大富豪の道楽としては良い趣味になると思うんですが…そういうお金持ちは日本にはいないんでしょうか。

【参考文献】
松隈洋「近代建築を記憶する」建築資料研究社(2005年)
The Japan Architect, 57号, 2005年春号, 新建築社

【参考サイト】
Docomomo Japan「旧・日本相互銀行本店の保存に関する要望書」(2006年6月)
株式会社前川建築設計事務所

【リンク】
美しい空間 ~ 前川國男建築展: あさぎのアサブロ
建築家の転向と抵抗、丹下健三と前川國男: 轟亭の小人閑居日記 馬場紘二

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