Google
 

坂本勉「トルコ民族主義」2007/05/03 20:06:13


近所の大手古書チェーン店で見つけた本の感想です。

坂本勉「トルコ民族主義」講談社現代新書(1996年)

現在出版社品切れ。

普通、トルコ民族と聞けば、アナトリアやイスタンブールを国土とするトルコ共和国のことを思い浮かべますが、元来トルコ系民族はモンゴル高原に居住しており(中国史に記録される鉄勒(てつろく)や突厥)、西へ移動しながら、ウイグル、中央アジア、コーカサス、アナトリア等に広がっていったものです。

トルコ系民族は移動しながら、各地の先住民族と交じり合い、風貌には大きな違いがあり、一見して同一民族とは見えませんが、言語的には同系統に属しており、文化的・宗教的な共通性も見られます。

本書は、トルコ系民族の内の中央アジア、アゼルバイジャン、アナトリアに焦点をあてながら、各地域における民族形成の歴史、特に民族主義の展開について解説しています。

中央アジアは、現在複数の共和国に別れ、共和国単位の民族主義が主流となっていますが、かつてはトルキスタン民族主義のもと統一を目指す運動がありました。しかし、このトルキスタン国家構想は、ソ連の成立により、その支配の下、複数の共和国に分断され、共和国単位の民族主義が主流となって後退していきます。

イラン、コーカサス地域のアゼルバイジャンは、イラン文化の強い影響を受けつつも、アゼルバイジャン民族主義が醸成されていきました。しかし、ここでもソ連の成立により、ソ連と民族主義の対立は、ソ連による勝利に終わります。

アナトリアに進出したトルコ民族は、オスマン・トルコを形成して、イスラム世界を支配する大帝国となり、トルコ民族主義は殆ど存在しませんでしたが、オスマン・トルコの崩壊とともに、アナトリア・トルコ民族主義が台頭し、現在のトルコ共和国を成立させていきます。

このように、各地域での民族主義に対して、トルコ系民族全体を統合するパン・トルコ主義は、近代になり、言語学的・歴史学的な研究の進展を背景として、理念として生まれ、一定の影響を与えては来たものの、現在に至るまで大きなうねりとなることはありませんでした。

現在、トルコ共和国はBRICsに続く経済発展圏として注目され、混迷してはいるものの、EUへの加盟も視野にあります。

一方、アゼルバイジャンや中央アジア各国は、石油やウランなど豊富な天然資源を有するとともに、ソ連解体後の紛争や政治的混迷が続く中、イスラム地域に隣接し地政学的・経済的な重要性を増してきています。

これら諸国に対して、相対的に経済の発展したトルコ共和国は経済的な影響力を強めており、あらためて言語的・文化的共通性が認識されてきています。

ともすれば、日本人の知識は、トルコ共和国と西(EU)との関係に偏っているますが、東(アゼルバイジャン・中央アジア)とも政治的・経済的繋がりを強めるトルコ共和国は、政治的・経済的な要として重要な位置を占めています。

パン・トルコ主義自体が、大きなうねりを形成する可能性は高くないものの、トルコ系民族の広がりと連携は、世界の経済、政治にとって注目すべきことであることが理解されます。

このように、本書は、日本人に知識の薄い、トルコ系民族の歴史と今後の展開に注目する貴重な著作です。

【復刊ドットコム復刊リクエストページ】
坂本勉「トルコ民族主義」講談社現代新書

なお、本書は出版社品切れ状態にありますが、いわば改訂版として 坂本勉「トルコ民族の世界史」慶応義塾大学出版会(2006年)が入手可能です(チョッと値段が高い…)。また、書籍のタイトルとしては、こちらの方が著者の意図に沿ったものだそうです。


Joel Cohen, "Cantigas de Santa Maria"2007/05/04 19:06:59


3枚目の、Cantigas de Santa Maria(聖母マリアのカンティガ)のCDの感想です。

Cantigas de Santa Maria
Camerata Mediterranea, direction Joel Cohen with Abdelkrim Rais Andalusian Orchestra of Fès, direction Mohammed Briouel
Warner Classics Apex 2564 61924-2

数ある聖母マリアのカンティガの録音の中でも、おそらくアラブ音楽の影響を最も強く捉えた「過激」な一枚です。

Boston Camerataの指揮者でもあるJoel Cohenが1990年に創設したCamerata MediterraneaがモロッコのアンサンブルAbdelkrim Rais Andalusian Orchestra of Fès(指揮:Mohammed Briouel)と競演した1998年の録音で、録音地もモロッコ(Mnehbi Palace, Medina in Fèz, Marocco)という念の入れよう。

モロッコのアンサンブルの名前にAndalusianとあるのは、イスラム王朝下のイベリア半島(=アンダルシア地方)で、9世紀から15 世紀頃までのあいだに完成したアラブ古典音楽の総称をアンダルシア音楽というためです。特にモロッコには、古い形式のアンダルシア音楽が現在まで受け継がれています。

アンダルシア音楽のnawba(ヌーバまたはナウバ)と呼ばれる楽曲を挟みながら演奏されるカンティガは、コブシが聞いていて、"Santa Maria"の歌詞が無ければ、殆どヨーロッパの音楽とは思えません。

ヨーロッパ、ユダヤ、アラブの文化がそれぞれ尊重され、影響しあったアルフォンソ10世の宮廷で演奏されていたのは、本当にこのような音楽だったのかも知れません。聖母マリアのカンティガのCDを買うなら絶対に外せない一枚。五つ星の推薦盤です。


中東教会協議会(編集)、村山盛忠、小田原緑(訳)「中東キリスト教の歴史」2007/05/12 10:34:51


中東教会協議会(編集)、村山盛忠、小田原緑(訳)「中東キリスト教の歴史」日本基督教団出版局(1993年)

の感想です。

大概の日本人にとって、キリスト教会といえば、欧米のローマ・カトリック教会とプロテスタント諸派の教会を思い浮かべるのが一般的でしょう。結婚式やクリスマスのイメージ…。あるいは、キリスト教系の学校を思い浮かべるでしょうか。さらに思い出せても、ギリシャ・ロシア正教会。「御茶ノ水の…ニコライ堂だっけ」。

でもイエス・キリストが生まれたのは中東のイスラエル。布教を始めたのも当然イスラエル。それが西方(ローマを除けば辺境の地)ヨーロッパ大陸に伝わって、現在の欧米のキリスト教となったわけです。

とすると、本家本元の中東のキリスト教はどうなってしまったんでしょうか。イスラームに圧倒されて、消滅してしまったのでしょうか?

こんな疑問に答えてくれるのがこの本です。

とんでもない、現代の中東には、イエス・キリスト以来のキリスト教徒が数多く暮らし続けています。5世紀のカルケドン公会議で、ヨーロッパ教会と袂を分かった教会(シリア、コプト、アルメニア、エチオピア)もあれば、独自の典礼を行いつつ、カトリック教会に属するマロン派や正教会に属するメルキート等多様な教会が活動しているのです。

本書は、日本人の知らない、「本家本元の」、キリスト教の歴史を知るための貴重な一冊といえるでしょう。

なお翻訳者は、プロテスタントの牧師で、その一人村山氏には著書

村山盛忠「コプト社会に暮らす」岩波新書(1974年)

があります。


Ensemble Micrologus, "Cantigas de Santa Maria(XIII secolo)"2007/05/13 04:38:37


4枚目の、Cantigas de Santa Maria(聖母マリアのカンティガ)のCDの感想です。

Cantigas de Santa Maria(XIII secolo)
Ensemble Micrologus
René Zosso
1991
Quadrivium SCA 014

たまたま、神保町の中古CD屋さんで入手しました。かなりマイナーなレーベルのCDらしいので、入手は大変かもしれません。

Ensemble Micrologusは1984年創設のイタリアの古楽アンサンブル。René Zossoは、1935年ジュネーブ生まれ、大学で文学を教え後、演劇に携わり、さらに、hurdy-gurdyという楽器の奏者、歌手でもあるという、多彩な才能の持ち主です。また、ZossoはClemencic Consortの録音にも多数参加しています。

他の多くの演奏が、アラブやユダヤの音楽の影響を重視したもの、あるいはスペイン的な音楽として解釈したものなのに対して、この演奏は全く異なり、言わば「ヨーロッパの民衆音楽」として演奏されています。

サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼者が、道すがらあるいは教会前の広場等で歌い踊っている様が思い浮かばれるような、陽気で楽しい演奏です。

羽目を外しすぎだという意見もあるかもしれませんが、こういう解釈もアリだということを、十分に納得させてくれる演奏です。私は、とても気に入りました。

様々な解釈の可能な「聖母マリアのカンティガ」のCDとしては、やはり外せない貴重な演奏だと思います。

シュヴァイツァーの芸術(バッハ:オルガン作品集)2007/05/19 11:51:35


シュヴァイツァーの芸術
Albert Schweitzer
録音:1935,1936,unknown
1991
東芝EMI TOCE-11502,11503,11504(廃盤)

アルベルト・シュヴァイツァー(1875-1965)によるバッハオルガン作品集(3CD)の感想です。例によって、大手オンライン古書店で入手しました。

えっ?、シュヴァイツァーて誰だって?

演奏者のシュヴァイツァーとは、誰もが偉人伝で知っている、、アフリカで生涯を原住民への医療に捧げた、あの「シュヴァイツァー博士」、その人です。

シュヴァイツァーは、1875年ルター派教会の牧師の子として生まれ、幼い頃から教会音楽の演奏をおこなっていました。ストラスブール大学では、哲学博士、神学博士の学位を取得する(1893年-1899年)一方で、音楽の研究にも研鑽を重ね、後に研究の成果を『ヨハン・ゼバスティアン・バッハ』(1904年フランス語による初版、1908年ドイツ語による増補版)として出版、不朽のバッハ研究書となります。

30歳までは学問と芸術を身につけることをゆるされるが、その後は直接人間に奉仕する道に進むべきであると決意し、30歳にして再びストラスブール大学に入学し、医学を学びます。1912年医学博士の学位を取得し、翌年38歳の時にガボン(当時仏領赤道アフリカの一部)のランバレネにおいて医療活動を開始しました。この後は、皆さんが知っている「密林の聖者」シュヴァイツァー博士として、原住民のための医療活動に専心します。

シュヴァイツァーは、病院の経営が金銭的に困難になると、ヨーロッパに戻り、演奏会活動などで活動資金を募り、病院の運営に当てました。

このCDは、こういった時代の彼の演奏を録音したものです。技巧的には弱さも指摘されているようですが、学問的に裏打ちされた解釈、彼自身の人間性・精神性のこもった演奏は、貴重なものだと思います。

当然SP録音からの復刻で、現代の録音とは比較になりませんが、バッハに関心を持つ人に限らず、是非聴いてほしい録音です。


ブルーノ・タウト展(ワタリウム美術館)2007/05/20 04:19:58

ブルーノタウト展

美術展の感想です。

ブルーノ・タウト展
アルプス建築から桂離宮へ
2007年2月3日(土)-5月27日(日)
ワタリウム美術館

ブルーノ・タウト(Bruno Julius Florian Taut, 1880-1938)は、ドイツの建築家で、3年間(1933-1936)日本に滞在(亡命)し、桂離宮を高く評価したことでよく知られています。

2階では、ジードルング(集合住宅)[実用]、アルプス建築[理念]から桂離宮[実用と理念の融合]への思想的展開が展示されています。3階は、タウトが友人や家族に宛てた手紙、4階は、日本での工芸作品と日向邸。さらに、地下では、タウトの撮った写真の展示もありました。

たまたま、学芸員による展示解説の時間に居合わせたので、自分で見ていただけでは気がつかないことも色々分かり、大変参考になりました。

2階の展示壁は、実際のジードルングの塗装に使われている塗料をドイツより取り寄せて、建物と同じ様に塗り分け彩色されていたり、床のカーペットも実際の建物のものと同じデザインのものをわざわざ制作したとのことで、非常に凝った展示構成になっています。

1910年代に建てられたジードルングは現在も使用され、修復も進められていて、世界遺産への登録が申請されているそうです。日本の同潤会アパートの扱われ方と比較すると雲泥の差ですね。ジードルングは、豊かに彩色されていますが、低価格の規格品を使いながら個性を作り出すための工夫でもあったそうです。

アルプス建築では、最近発見された原画が3点展示されています。出版された印刷と比較すると、印象がずいぶん違い、タウト本来の理念がより明確に伝わってくる感じです。

また、10年以上前(1994年だったらしい)に行ったセゾン美術館のタウト展の記憶も少し蘇りました。アルプス建築の印象が非常に強烈だったことを思い出しました。

3階の、タウトの手紙は、縦長の和紙に筆書き(ドイツ語ですが)、時に絵も交えながらのユーモアもある面白いものですが、翻訳と見比べながら見ていくのはチョッと辛い。

あまり広くないワタリウムですが、予想以上に混んでいたのと、解説の文章が多いため、結構くたびれてしまいましたが、タウトの多様な面を見ることが出来ました。

会期も残り少ないのですが、見て損はしないと思いますので、興味のわいた方はお出かけください。


山内昌之「イスラムとロシア-その後のスルタンガリエフ」2007/05/26 04:26:52


山内昌之「イスラムとロシア-その後のスルタンガリエフ」東京大学出版会(1995年)

ミールサイド・ハイダルガリエヴィッチ・スルタンガリエフ(1892-1940)は、ムスリム・タタール人の革命家です。1917年ボリシェヴィキ(ロシア社会民主労働党、後のソ連共産党)に入党し、ムスリム党員としては党内最高位に上り詰めましたが、スターリンと対立、弾圧を受けた後粛清されました。

スルタンガリエフは、主にロシア人が主導権を握った汎ロシア主義・大ロシア主義の共産主義思想に対し、タタール人を含むチュルク系諸民族にとっての共産主義思想を構想し、ロシアに従属する自治共和国ではなく、ロシア等ソ連構成国家と対等な関係にあるチュルク系諸民族による国家の構想を抱いていました。また、多くの民族が混在する地域で領土的な自治を行えば、必然的に民族的少数派が生まれ矛盾を生ずることから、民族毎の文化的な自治(居住地に関係なく民族として自治権を有する)も構想していました。

スルタンガリエフの思想は、スターリンにより、「スルタンガリエフ主義」というブルジョア的民族主義として断罪されてしまいます。しかし、反帝国主義の観点からイスラームの価値を評価し、欧米とは異なる革命のあり方を標榜したスルタンガリエフの思想は、その後第三世界で生まれる非欧米的革命思想の先駆けでした。また、ソ連崩壊後のロシアとムスリムとの民族問題を予見し、その解決の方向を示唆する思想でもあります。

現在の中央アジアは、石油等の資源国として注目される一方で、政治的不安定が続き、欧米、ロシア、中国などの政治的・軍事的覇権に曝されています。これら地域の自立と安定を考える上でも、スルタンガリエフの思想は広く知られるに値するのではないでしょうか。


黒川紀章「中銀カプセルタワー」2007/05/27 05:56:07

中銀カプセルタワー(2007年5月26日撮影)

中銀カプセルタワー
黒川紀章/黒川紀章都市設計事務所
中央区銀座8-16-10
1972年
(2007年5月26日撮影)

黒川紀章さんと言えば、都知事選に立候補して、すっかり「変なオジサン」と化してしまった観がありますが、私が子どもの頃は、度々マスコミに露出して「『建築家』というカッコイイ職業があるんだ」と知らしめてくれた人です。大学受験のときに建築学科を受けるべきか否か迷ったその遠因の一つは多分黒川さんにあります(結局、建築学科は受験しませんでしたが)。

さてこの建築は、黒川の初期の代表的建築であり、「メタボリズム」という建築運動(?)の代表的な作品でもあります。

コンクリートの箱を積み重ねたようなその外見は、ユニット型のカプセル住宅(マンション)です。コンクリートのユニットは交換可能なのだそうです。

黒川紀章都市設計事務所のサイトから引用すると

「世界で初めて実用化されたカプセル建築。1960年代前後に、イギリスのアーキグラムグループや、フランスのポールメモン、ヨナフリードマン等、建築を脱構築して、その部屋をカプセルとして自立させたり、メガストラクチャーにカプセル建築をとりつける構想と同時代性をもっている。

ここでは、プレハブ(量産)でありながら多様性という新しい質を表現できるかどうかという新しい課題の対する挑戦と、自我の自立という個人主義を経ることなく近代化してしまった日本への批判として、自立する個の空間を目指している。  技術的には二本の高張力ボルトのみでコンクリートコアシャフトに取付けられたカプセルは、実際に取りはずして新しいカプセルと交換されるよう、技術開発がなされている。 カプセル建築は、単身者用の宿泊、デン(書斎)として想定されたが、家族用としては、数個を扉でつなぐことによって可能となるよう計画された。 カプセルの内装は、電化製品や家具、オーディオ、TV、電話まで工場でセットされ、現地でクレーン車によって吊上げれらてシャフトに固定された。」

なんだか、大阪万博(実際に行ってはいませんが)のパビリオンが街中に出現したみたいな感じです。当時の未来のイメージをそのまま実現させてしまった、コンセプト優先の建築だと思います。だからこそ、評価もされ、批判もされる建築だったわけです。しかし、施主の人はずいぶん「太っ腹」だったんですねぇ。

マンションですから、住人の決定により立替が決まったそうです。子どもの頃夢見た「未来」が消えてしまうという奇妙な寂しさを感じています。

【参考サイト】
黒川紀章建築都市設計事務所
社団法人日本建築学会「中銀カプセルタワー保存要望書」(2006 年7 月26 日)