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藤野幸雄「悲劇のアルメニア」2007/10/13 07:40:36


藤野幸雄「悲劇のアルメニア」新潮選書(1991年)

品切れです。ネットで古書店から購入しました。古代アルメニア(ウラルトゥ王国)から、ペレストロイカ時代のアルメニアまでの歴史がまとめられています。書名の通り、アルメニア民族は過酷な歴史をたどったことが語られます。

アルメニアは、ザカフカス(外カフカス)の国で、北がグルジア、東がトルコ、南がイラン、西がアゼルバイジャンに囲まれた内陸国です。歴史的には、現在よりも西に版図を持っており、旧約聖書のノアの箱舟が漂着するのもアルメニアのアララト山とされています(アララト山は現在トルコ領)。

周囲を、ペルシャ、ギリシャ、ローマ等の大国に囲まれ、長期間に渡って独立していた期間は短いのですが、ローマでのキリスト教公認前の301年には、キリスト教を国教として受け入れており、世界史上初めてのキリスト教国家となりました。451年に開かれたカルケドン公会議には、ペルシャとの戦下にあったアルメニア教会は参加できませんでしたが、この公会議で、ヨーロッパ教会とアジア教会の分裂が決定的となり、アルメニア教会もアジアの教会と歩調をあわせることになります。

やがて急激に勢力を拡大したイスラム勢力の支配下に入ると、アルメニア人はイスラム帝国各地に広がり、ユダヤ人と共に、イスラム圏商業の重要な担い手となりますが、これまたユダヤ人と同様、離散民族ともなります。

オスマントルコ末期からトルコ共和国成立にかけての時期が、アルメニア人にとっては最も過酷な時代となります。トルコ民族主義の高まりと共に、現トルコ領に住むアルメニア人にたいするジェノサイド(民族虐殺)が始まります。数回にわたるジェノサイドの末、アルメニア人はトルコ領内からほぼ追放されることになりました。アルメニア人犠牲者の数は一説では二百万人とも言われます。現在でも、トルコ共和国は、このジェノサイドを認めておらず、トルコ共和国のEU加盟を難しくしている最大の原因の一つとなっています。

結局、ソビエト政権の影響の下、現在の領域に(アルメニア人にとっては不本意ながら)アルメニアが成立します。ソビエト政権下では、「社会主義の優等生」とも見られていましたが、ペレストロイカの始まりと共に、アルメニア民族主義が高まり、アゼルバイジャン領ナゴルノ=カラバフ地方の領有を巡ってアゼルバイジャンとは戦争状態に入ります。

以上のように、日本語では数少ないアルメニアの歴史を知ることができる、貴重な一冊です。ソ連崩壊後の状況も増補した改訂版が出版されることが望まれます。

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藤野幸雄「悲劇のアルメニア」新潮選書