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渡邊昌美「異端審問」2008/06/07 02:25:54


渡邊昌美「異端審問」講談社現代新書(1996年)

本書の冒頭で、1415年7月6日、宗教改革の先駆者ボヘミアのフスが火刑に処せられるまでの様子を、当時の資料より再現します。異端審問とはいかなるものであったかを強く印象付けるものです。

異端審問は、12世紀に端を発するカタリ派への弾圧の過程で生まれます。正式な異端審問の始まりは、1231年あるいは1333年の法王勅令によると考えられていますが、12世紀にはすでに異端審問と呼べるものが始まっています。こうして生まれた異端審問は、13世紀後半以降、南フランスで制度化が進展し、14世紀始めに異端審問官「ベルナール・ギー」の登場で一定の完成を見ることになります。その後異端審問はイベリア半島に舞台を移し、改宗ユダヤ人や元イスラム教徒への苛烈な弾圧となって行きます。

本書は主に、13世紀から、ベルナール・ギーの登場する14世紀まで、南フランスでの異端審問の展開に多くの資料を参照しながら、スポットを当てていきます。

当初は必ずしも統一されたものではなかった異端審問が、やがて文字通りに「マニュアル化」され(その代表がギーの「異端審問の実務(プラクティカ)」)、異端審問官たちによって統一的で苛烈な裁判が執行されるようになって行きます。

苛烈な処罰の一方で、審問の手続きは、滑稽なまでに律儀で官僚的なものでもありました。「動物裁判」を大真面目に執行したのと同様、中世人は手続きを重んずる心性があったようです。このことは、後々、法の前での平等、法治主義をヨーロッパが生み出すことと関係があるのかもしれません。

本書は、最後にイベリア半島での異端審問を概観して終わります。一般のイメージでは「異端審問=スペイン」(ゴヤの絵画!!)というイメージが強いと思いますが、本書はその前史として異端審問が制度化されて行くプロセスを主題としています。

ヨーロッパキリスト世界は、この後「魔女狩り」という、より残忍で恐怖をまきちらす時代に入っていきます。ヨーロッパが近代合理主義を生み出すまでに、組織的残虐を経験せざるを得なかったということは、歴史がけして一直線に進むものでな無いことを思い知らされます。

【復刊ドットコム復刊リクエストページ】
渡邊昌美「異端審問」講談社現代新書


田中克彦「エスペラント-異端の言語」2008/06/14 23:59:59


田中克彦「エスペラント-異端の言語」岩波新書(2007年)

本書はエスペラントの入門書ではなくて、エスペラントの歴史を描いたものです。「エスペラント」って最近ではあまり話題に上らなくなった言葉ですが、私が子供の頃(1960年代)にはもっと頻繁に話題にされていた様な気がします。

「海で遭難した主人公が気が付くと、そこは何処か外国の病院のよう。病院では、様々な人種・民族の人たちが働いており、不思議なことに、互いにエスペラントで会話しているではありませんか(つまり主人公もエスペラントを知っている)。やがてそこは、世界平和を守るための秘密機関であることが分かり、そして主人公も秘密機関に加わることに…」なんて漫画のシーンを覚えています(未だ漫画誌は月刊が普通だったくらい昔の頃のはなし)。もしかしたら、この時初めてエスペラントという言語のことを知ったのかもしれません。

エスペラントは、当時帝政ロシア領であったポーランド在住のユダヤ人医師、ルドヴィーコ・ザメンホフが19世後半に発明した人工言語です。実は19世紀には、既存言語の簡略化(例えば簡略英語:BASIC、勿論Beginner's All purpose Symbolic Instruction Codeではなくて、British American Sientific International Commercialの略)や、人工言語が多数提案されていたそうです。さらに、エスペラント自身に対しても、その改良が提唱されていたそうです。

文学者は、自国語の簡略化を嫌悪し(今でも国語のカリキュラムに否定的な感想を言う文学者が必ずいますね)、言語学者は、人工言語に激しい拒否反応を示しました。そんな環境下でもエスペラントは世界に広まっていき、日本においては、山田耕筰がエスペラントを学び、二葉亭四迷はエスペラントの入門書まで書いているそうです。そして1922年には、新渡戸稲造と柳田国男が国際連盟に世界中の公立学校でエスペラントを教えるよう決議を求めています。この決議は、フランス語を世界共通語にすべきだと言うフランスの猛反対を押し切って可決されたそうです。さらに、宮沢賢治もエスペラントを学び、かの「イーハトーヴォ」とは「イーハト」(岩手、エスペラントでは地名の語尾は必ず-oで終わる)と"ovo"(エスペラントの「卵」)からなる造語「岩手の卵」という説もあります。

一方、エスペラントはその非国家・非民族主義に共鳴した初期の社会・共産主義者や無政府主義者の中にも支持者を得ていきます。このため「エスペランティスト=反体制・反民族主義」として弾圧を受けることにもなります(当然日本においてもです。1906年の日本エスペラント協会設立には堺利彦、大杉栄の名があります)。共産主義国でも、スターリン時代になると「エスペランティスト=外国のスパイ」として弾圧の対象となりますが、中国では現在でもエスペラントが盛んで、エスペラントによる国際放送も続いているそうです。

エスペラントは、ヨーロッパ系言語から文法や語彙を受け継いでいますから、国際語と言ってもヨーロッパ色の強い言語です。文法も必ずしも完全に簡略されているわけではなく、名詞の格変化や形容詞に単数複数の区別があるなど、日本人には分かり難い点も多いようです。

こうして、多くの困難に囲まれたエスペラントですが、ハンガリーやフィンランドの様なヨーロッパに位置しながら、非印欧語族の言語を使用する国や、英語にせよフランス語にせよ、学習に困難を感じていたアジア諸国(中国やモンゴルなど)では根強い活動が続いてきたのです。

大手書店の語学コーナーに行くと、数は少ないですが、エスペラントの入門書も置いてあります。グローバリズム/英語帝国主義の風潮の強まる中、私もエスペラントを学んで英語帝国主義者たちを煙に巻いてやろうかと思います(単に英語が下手な言い訳か)。

- Kia lingvo estas Esperanto?
- Simpla skizo de gi.



三菱地所「大手町ビル」2008/06/21 23:59:59

大手町ビル(2008年6月6日撮影)

2008年6月6日撮影
大手町ビル
設計監理:三菱地所
施工:大成建設
千代田区大手町1-6-1
1958年

大手町の讀賣新聞社,、産経新聞社の隣、本郷通りから外堀通りまでの1ブロックを使った長大なビルです。外見は、淡々とした表情ですが、横線が強調され、いかにもオフィスビルといった面持ちです。

今年で、竣工からちょうど50年ということで、本郷通り側のウインドウには、起工、工事中、竣工当時の写真が掲示されており、当時の大プロジェクト振りがうかがえます。実際、大成建設のサイト、『大成建設の歩み』によれば「当時、丸ビルを抜いて東洋一の延床面積を持つ日本最大のマンモスビルとなる。地下3階、地上9階、塔屋3階、鉄筋コンクリート造り、延111,273平方メートルの巨大な外観が人々を圧倒した。」とあります。

写真右は、外堀通り沿いの入口から本郷通り沿いの入口を見たものですが、本郷通り側の入口はよく見えません。

メンテナンスも良くされ、現役のオフィスビルです。周辺は再開発ラッシュですが、独特の存在感の持ったこのビルが生かされて欲しいものです。

【参考サイト】
三菱地所「大手町ビル」
『大成建設の歩み』14. 開かれた日本へ、世界へ 〜復興の完了と国際化への基盤づくりを推進する事業〜

【参考文献】
倉方俊輔、斉藤理「東京建築ガイドマップ」エクスナレッジ、2007年


田中長徳「カメラは知的な遊びなのだ」2008/06/28 11:31:29


田中長徳「カメラは知的な遊びなのだ」アスキー新書(2008年)

突然デジタル一眼レフカメラが欲しくなりました。今から十数年前、デジタルカメラが出たての頃に、当時大枚7万円を叩いて、リコーのデジタルカメラ(確か35万画素だった)を買って以来のデジカメ物欲の噴出です。「世界最小・最薄・最軽量」の謳い文句と宮﨑あおいちゃんの可愛さに惚れて、オリンパスE-420へ一直線。神田小川町のオリンパスのショールームで実機に触れ、高橋 良輔,上田 晃司,吉田 浩章「オリンパスEー420ファンブック」インプレス(2008年)を買い、残るは購入のみだ!?

でも、もう一冊くらい何か読んでおこうと思って、この本を手にしたのが運の尽き!!-デジタル一眼レフは、「高い、重い、デカい」の三拍子がオヤジの自己満足を満たすに過ぎない、と断言なさる…

デジタルコンパクトカメラとライカで十分。確かに「知的な遊び」にオヤジの自己満足を持ち込むのは野暮ってもんです。

完全に「シュン」となった「自己満足オヤジ候補」ですが、「デジ一」が欲しいなら「型落ち、中古」を買いなさいとの有難い御託宣があるではありませんか。

「型落ち」ならいいんだ、という救済の御言葉に助けられ、E-420ではなくてE-410に照準を変更しました(著者の真意とかなりずれてますが)。

で、AmazonでE-410が結構安く売られているのを確認し、とうとう注文ボタンを押してしまいました。レンズやら何やらを含めれば13万円近い出費です。

さて、来週には、E-410を手にしている「自己満足オヤジ」は、一体どんな写真を撮ることになるのでしょうか?

ちなみに、既にお気づきのことと思いますが、当ブログの建築写真は全て携帯カメラ(Docomo P730iμ)で撮影したものです。次回からはデジ一撮影に変わるでしょう。腕が変わらないので、写真も大して変わらないと思いますが。

なにわともあれ、チョッとばかり散財してしまったことだけは確かです。

あれ、全然書籍のレビューになっていませんね。ともかく、世のお父さん方、デジ一を購入するまえに、本書を一読することを、絶対お薦めします。撮影の本質的な手法などもちゃんと参考になります。