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チェーホフ「サハリン島(上)(下)」2009/11/05 05:03:49


チェーホフ「サハリン島(上)(下)」(1953年)
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村上春樹の「1Q84」で知られれるようになったチェーホフの流刑囚調査報告「サハリン島(上)(下)」です。中公版が1Q84の引用の出所で、現代仮名遣いです。一方岩波版は、もともと訳業が戦前から進められており、それが1957年に出版されたもの。少し難しい旧漢字がありますが、言われているほど読むのに苦労はしません。

1890年のチェーホフのサハリン行きの動機は、解説の通り「彼は最初からサハリンを救はうと思ったのではなく、寧ろ反對に、サハリンに赴くことによって自ら救われようとした」(下巻p.246)ものだと考えられます。そのぶん、チェーホフの筆は、淡々と、事実に基づいて、島の実情を明にしていきます。

そこでチェホーフが見たのは、サハリン島流刑囚や刑期後も島にとどまる(とどまざるを得ない)人々の悲惨な暮らしです。収容者の健康も生活も維持できないような監獄施設、貧弱な食糧給付、囚人の堕落、看守など役人の無知怠惰、ときに囚人に暴虐な懲罰をあたえることを喜びとしているかのような上官。農業開発が不十分で刑期終了後の元囚が入植するに十分な土地もなく、農業知識もない状態で、農民たちは極度の貧困に陥る。

チェーホフは、建前は、犯罪者の悔悛・更生すべき施設なのに、暴力的抑圧と植民地化政策とにより捻じ曲げられ、非人道的な苦力・体罰の場と化していることを、明らかにしました。本書出版後は大きなセンセーションを巻き起こし、流刑囚の待遇改善に世論が向かったそうです。

尤も最初に述べたように、チェーホフの目的は別にあったわけで、チェーホフもこの島の悲惨な状況を目にすることで、文学のエネルギーを湧き立たせ、救われることになったのではないでしょうか。





ちなみに、次のブッセの日記を、チェーホフは何度か参照しています。

畑谷史代「シベリア抑留とは何だったのか―詩人・石原吉郎のみちのり 」2009/11/06 05:00:00


畑谷史代「シベリア抑留とは何だったのか―詩人・石原吉郎のみちのり 」岩波ジュニア新書(2009年)

石原吉郎(1915-1977)とは、8年間のシベリア抑留体験を、当初は詩として、後にはエッセーとして発表した詩人です。本書は、石原の著書と彼を知る人たちへの取材を中心に、様々なシベリア抑留体験者への取材を加えて、シベリア抑留について問いかけるものです。

シベリア抑留体験とは、単なる被害者としての体験ではなく、自らが生き残るために加害者でもあったという体験です。石原の「人間とは、加害者であることにおいて人間となる」という言葉は実に重い意味を持ちます。

1970年代には、反スターリン主義の文脈で、石原は大変よく読まれたそうです。しかし、石原から見れば全く理解されていない読み方だったことになります。

石原吉郎のオリジナル詩集等は殆ど絶版のようです。再編集した詩、エッセーが出版されているようなので読んでみたいと思います。





吉田徹「二大政党制批判論―もうひとつのデモクラシーへ 」2009/11/07 05:00:00


吉田徹「二大政党制批判論―もうひとつのデモクラシーへ 」光文社新書(2009年)

得票率47.4%で議席の74%を獲得するシステムは民意を反映していると言えるのか。政策に本質的差のない2つの政党で民意を反映できるのか。小選挙区制度、2大政党制があたかも唯一正統なシステムでもあるかのように考えられるに至ったのは何故か。

長らく感じていた違和感に回答が得られた感じです。是非のお勧めです。




茅原健「工手学校―旧幕臣たちの技術者教育」2009/11/08 05:00:00


茅原健「工手学校―旧幕臣たちの技術者教育」中公新書ラクレ(2007年)

工手学校とは、1887年(明治20年)に設立された技術者養成学校で、現在の工学院大学の前身です。東京職工学校(東京工業大学)が1881年(明治14年)、東京物理学講習所(東京理科大)も1881年(明治14年)の設立ですから日本の技術者教育の嚆矢の一翼を担っていた学校です。

本書自体は、至って校史的な内容ですが、興味深かったのは、国木田独歩の小説(「非凡なる凡人」、「運命」に所収)の主人公が工手学校の出身とされていることです。夏目漱石の「坊っちゃん」の主人公が物理学校(東京理科大)の出身と設定されているのは有名ですが、工手学校もとりあげられていたんですね。「坊っちゃん」が「親譲りの無鉄砲」な人物なのに対して、「非凡なる凡人」の方は「西国立志編」を座右の書とする刻苦勉励の人物と対照的です。それと、主人公は神田の夜学で数学を学んだとあるのですが、これはもしかしたら研数学館(の前身)のことかもしれません。

現在「非凡なる凡人」は、新刊書籍では入手できないようですが、青空文庫で読むことができます。短い作品なのでPC画面で読んでもそれほど苦にはなりません。

青空文庫は国木田独歩「非凡なる凡人」

書籍なら品切れですが、国木田独歩「運命」岩波文庫



トマス・アクィナス「君主の統治について―謹んでキプロス王に捧げる」2009/11/10 05:00:00


トマス・アクィナス「君主の統治について―謹んでキプロス王に捧げる」岩波文庫(2009年)

中世最大の哲学者トマス・アクィナス(1225頃-1274)の政治論で、ドミニコ会の庇護者であったキプロス王フーゴー二世(在位1253-1267)に献呈されたもの。訳者の解説にページのおよそ半分割かれています。ものすごくザックリ言うと「統治形態は王制が優れており、その君主は徳を持って統治しなければならない」という論旨です(なんて身も蓋もない)。アリストテレスに従って、統治形態を、不正な支配者が一人の場合:僭主制、少数の場合:寡頭制、多数の場合:民主制、正当な支配者が一人の場合:王制、少数の場合:貴族制、多数の場合:ポリティアの6種に分け、優れた順に、王制>貴族制>ポリティア>民主制>寡頭制>僭主制としています。

これって、ミニマックス戦略を採って、民主制の採用が最適ということになると思うとちょっと嬉しくなります。それと、不正な支配の順序を見てチャーチルの言葉(Democracy is the worst form of government, except for all those other forms that have been tried from time to time.)を思い出しました。チャーチルはトマスを読んでいたのでしょうか。



J.S.ミル「自由論」2009/11/13 06:00:00


J.S.ミル「自由論」岩波文庫(1971年)

原著は、John Stuart Mill, "ON LIBERTY", 1859.です。のっけから本書は、実質亡き妻との共著であったと述べられます。19世紀半ばでここまで女性の貢献を明言できるだけでも、自由の闘士であったことがうかがえます。

ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873)はイギリスの思想家、特に功利主義の思想家とみられています。本書はその代表的著作です。言論の自由、社会生活における個人の自由について述べ、他人の不利益にならない限りの、個人の自由は侵害されるべきではないことを主張します。当時のイギリスにおいて、私的自由に対する政府干渉の増大を警告しており、現在になお引き続く問題を先取りしています。本書こそが、現在も「自由主義」を考える上で出発点となる古典と言えるでしょう。

やっぱり、時間があれば、古典派読んでおくべきですね。損はありません。




シング「アラン島」2009/11/20 06:00:00


シング「アラン島」岩波文庫(1937年)

シングは夭折したアイルランドの劇作家(1871-1909)です。アラン(諸)島はアイルランド西岸の沖にある三つの島から構成されています。ヨーロッパの辺境としてゲール語・ゲール文化の残る場所でした。シングがゲール語を学びゲール文化に触れるため、1898年、1899年、1900年、1902年の計4回アラン島に滞在した際の紀行文・エッセーです。厳しい島の自然、特に荒波に漕ぎ出すカラハ(地元の小船)で波に揉まれるシングの心の動き。奇妙なまでに素朴な島民との触れ合い。シングは当初戸惑いますが、徐々に慣れ親しんでいきます。ケルトらしし妖精話や不思議な体験談なども出てきます。ベニスの商人みたいに借金するのに肩の肉を担保にすることから始まる男女の騒動が面白かったですが、借金の担保に肩の肉というのはシェークスピアのオリジナルではなく、古くからヨーロッパにある説話のようです。それ以外にも、色々な古いヨーロッパの説話を連想させるものがあるようです。また、大西洋の大波が険しい岸壁を打つ激しさもすさまじい様子です。こうした点で、島はシングに多くのインスピレーションを与え、後にこの島を舞台にしたものなど幾つかの戯曲に結実しました。

こんな遠隔の地といっても19世紀末~20世紀初頭ですから、島民の多くは英語とゲール語のバイリンガル(女性は英語をあまり知らない場合がある)です。結構「息子がアメリカへ出稼ぎに行っている」という話は多く、「アメリカ出稼ぎ帰りの英語が流暢な男」も登場します。ナショナリズムの高揚とともにゲール語を守る運動が活発化し、学校でもゲール語を教え、ゲール語の印刷物も流通していたようです。ただし、ゲール語の共通語化がおこなわれていないようで、島の中の英語、ゲール語の読み書きが非常に堪能な少年でも、(本土の)ゲール語と英語で併記してある詩を読もうとして、地元のゲール語とは異なる本土のゲール語の意味がわからず、そこだけ英語の方を読むなんて話も出てきます。

定期船も(天候が許せば)通ってきますし、電信設備もあるようです。この島は個人所有地のようで、地代を払えない島民から担保を徴求するため、本土から多数の警官が渡航してきて、家畜など差し押さえする場面もあります(表紙扉にその時の写真)。

1937年の訳から改版もされていないので旧字旧かなですが、今から110年前のアイルランド辺境の思いを馳せて読むには結構合っているかも。

それと、歌人でシングなどアイルランド文学の翻訳をおこなった片山廣子(1878年-1957年)のエッセー「アラン島」というのを見つけました。
青空文庫:片山廣子「アラン島」




片山廣子が松村みね子のペンネームで翻訳したシング戯曲集

新しい訳はこちら。

ロバート・J・フラハティ「アラン」(DVD)2009/11/21 05:00:00


ロバート・J・フラハティ「アラン」(DVD)(1934年)

シング「アラン島」のおよそ30年後に撮影された「ドキュメンタリー」映画。「ドキュメンタリー」といっても相当の演出がされています。単純な記録映画ならあり得ないカメラワーク、空と雲を印象付ける遠景カットやロー・アングルなど満載ですが、荒々しい自然や島民の表情を巧みに操って、ある意味「非常に様式的な」表現を実現しています。また、主要な見せ場になっている鮫漁は、撮影時点で50年以上前から行われていなかった廃れた漁だったそうです。実際、30年前のシング「アラン島」には鮫漁の事は全く触れられていません。

[CiNii(国立情報学研究所論文情報ナビゲータ)]原田美知子「映画『アラン』考 : 1930年代のアイルランド」(2006年)というペーパ―に詳しく書かれていたのですが、当時のアイルランド自治政権は民族主義傾向が非常に強くファシズム的ですらあったため、その政治的プロパガンダとしてこの映画が意識されており、その趣旨に適合したその「様式美」はファシズムの美学そのものです(レニ・リーフェンシュタール「民族の祭典」等を想起させる)。従って、自治政府はこの作品を「ケルト的であることの典型」として称揚しました。

そもそもフラハティはシング「アラン島」のに触発されたともいわれていますが、そのためか、シング「アラン島」と映画「アラン」には共通点があります。例えば、映画冒頭でカラハ(地元の小型船)に穴が開くのですが、シング「アラン島」で記載されたいたのと同様に、衣服の一部をちぎって穴を防ぐ応急措置が行われます。一方、逆にシング「アラン島」では、農作物の生育もままならず、借金が返済できなくなった農家に対し、借金の担保収容に警察力が導入されるという、地主階級と小作階級の対立も描かれていますが、映画では岩と海に立ち向かう雄々しい島民のすがたしか描かれません。地主階級は全く見られません。

カラハが波に翻弄される姿や、海岸線に打ち寄せる波と、波がしらが散って、雨か霧のようになって島内に降り注ぐ様子はは、シング「アラン島」の記述に具体的なイメージを与えてくれます。最近出た普及価格版といことなので、シング「アラン島」ともども、楽しむことができると思います。

[CiNii(国立情報学研究所論文情報ナビゲータ)]原田美知子「映画『アラン』考 : 1930年代のアイルランド」紀要. 桜美林英語英米文学研究第46輯(2006年3月)、桜美林大学



ハインリヒ・グレシュベック「千年王国の惨劇―ミュンスター再洗礼派王国目撃録 」2009/11/22 05:00:00


ハインリヒ・グレシュベック「千年王国の惨劇―ミュンスター再洗礼派王国目撃録 」平凡社(2002年)

16世紀、1534年から35年にかけて、神聖ローマ帝国の都市ミュンスターでおきた酸鼻をきわめる事件の目撃者による記録です。

プロテスタントのツヴィングリ派から分派した再洗礼派は、自覚した成人の信仰者にのみ洗礼を施し、幼児洗礼はただ水をかけただけであるとして認めませんでした。この主張はカトリック、プロテスタントの両派から異端として否定され厳しく弾圧されていました。こうした中、再洗礼派のあるグループがミュンスター市に入り、一部市民の支持をうけて市政を奪取し王国を宣言します。帝国軍などに包囲される中、財産共有制、一夫多妻制などに教義が過激化、市民全体に対する弾圧・暴力が蔓延、包囲による食糧難が加わり凄惨な結果となりました。

再洗礼派自体は過激なグループではまったくないのですが、現在でも宗教カルト等で発生する事件が都市レベルで発生した訳です。政治権力が批判を受け付けなったとき何が起きるかということを知らねばなりません。



村川堅太郎・長谷川博隆・高橋秀「ギリシア・ローマの盛衰―古典古代の市民たち」2009/11/27 05:00:00


村川堅太郎・長谷川博隆・高橋秀「ギリシア・ローマの盛衰―古典古代の市民たち」講談社学術文庫(1993年)

原著は「古典古代の市民たち」文芸春秋(1967年)。本書は必要最低限の修正を加えただけの1993年の再刊です。

原著の出版年代を見ればわかるとおり、学会の最新成果を反映してはいません。むしろ古風な感じがするかもしれません。

この様に個々の情報は古いかもしれませんが、本書、特に村川堅太郎執筆の第一章から第五章を中心に、「古典古代の市民たち」という問題意識の元、ギリシア市民とローマ市民の類似性と相違性、その後の市民意識展開の違いを考察し、また、「古典古代の市民たち」の独創性に敬意を払いつつも、結局、限界のある民主制、共和制に留まってしまったことと、現代の我々の到達した民主制、共和制の違いにも考察を進めます。

普通の通史とは、まとめ方も違い、民主主義、共和主義の根源を考えるためにも非常に面白い本です。