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内田樹「私家版・ユダヤ文化論」2010/04/01 06:26:29


内田樹「私家版・ユダヤ文化論」文春新書(2006年)

2006年だから、4年前の出版です。内田センセーは軽妙な文章で読者の楽しませてくれています。人気もありますね。「タツラー」なる人たちおられるそうです。ちょっと持って回った論理を展開するので好悪は分かれるのかもしれませんが。大学の入試部長にも就任し、学務に教育に学生に暖かく接しておられるのでしょうか。しかし、「あとがき」を読むと、先生のご苦労が偲ばれます。ある年「ユダヤ文化論」の講義を開講を終わり、「レポートを集めたら、『ユダヤ人が世界を支配しているとはこの授業を聞くまで知りませんでした」というようなことを書いていいる学生が散見された」そうです。お嬢さん方、かましてくれますね。内田センセーそれにめげずに、翌年度も開講し誤解を解こうと努力されたわけです(前年の受講者は聞いてないけど)。これが本書のネタということです。直接関係無いですが、東大の北岡教授がしばらく前の日経夕刊のコラムに書いていた、初めて東大から私立大学に移ったとき、学部長に呼ばれ、きついお達しがあったのは、「ここは本郷とは違うのだから、学生に分かるように講義をしなさい」と言われた、という話を思い出しました。研究中心の大学と違って一般の大学では、大学の教員といえども、学部学生を手とり足とり指導しなくちゃいけないでんすね。内田センセーのユーモアもこうして鍛えられたのでしょうか。

反ユダヤ主義は、そもそもユダヤ人のいない日本にも発生しているという論考は興味深いですね。明治初頭には、何故かいきなり「日猶同祖論」というトンデモ話が発生して(現在まで続いている)、欧米列強に差別されるユダヤ人は、同じく欧米列強から差別される日本と同じ境遇にあり、ともに欧米に対抗する必要がある。という一見親ユダヤ的な意見が出てくるわけですが、単に欧米の敵は味方だけの料簡です。さらに、シベリア出兵に際して、「シオン賢者の議定書」というトンでも本を仕込まされて、欧米政府資本の実権ユダヤ人ユダヤ資本にぎっており、欧米政府資本の進出はユダヤによる世界支配の手先であるなんていう陰謀説が流布してしまいます。この話は、現在でも、大手書店のコーナーに平済みされる「ユダヤ陰謀本」としては勿論、反グローバリズム、反ネオリベラリズムの文脈でも「ユダヤの陰謀」が顔を出します。日本は立派な反ユダヤ主義国のようです。

フランスの反ユダヤ主義の勃興と、破格の人生をおくったモレス伯爵が、明らかにファシズム、ムッソリーニ、ヒトラーの先駆けとなる反ユダヤ主義の「ヒーロー」として登場する話は興味を引きます。また、ドストエフスキーのユダヤ人嫌いもこの時期のフランスの反ユダヤ主義の影響を受けているという話もあったと思います。

反ユダヤ主義のさらなる分析として、非ユダヤ人サルトルを引用し「ユダヤ人は反ユダヤ主義が作った」というから議論を始めますが、著者は、この「政治的に正しい」議論には満足しません。これに対し、ユダヤ人レヴィナスの「六百万ユダヤ人―そのうちの百万人はこどもたちだった―の受難と死を通じて、私たちの世紀全体の償いえない刧罰がが開示された。それは他の人間に対する憎悪でる。それは、開示であり、黙示であった。(…)ふたたびイスラエルは聖書に記されている通り、万人の証人となり、その<受難>によって、万人の史を資に、死の果てまで進むべく呼び寄せられたのである。」を引きます。やはりユダヤ人は「選ばれた民」なのです(いわゆる選民という意味ではなく責任を負う民)。何故、責任を負うのか。それは、ユダヤの神は、個人の幸福や受難とは超絶したであり、罪なき人びとの受難こそ神の存在を顕す。最後は難解です。理解したつもりでいましたが、文章にしたら論旨がまとまりません。

と、まあ色々と論争的なネタを内田センセーは提供してくれたわけです。ここから、読者の妄想が必要になります。

第一に、著者は原則ユダヤ教徒とキリスト教徒の関係だけを見ています(日本の話が少し)。しかし、ユダヤ人は、パレスチナやイエメン、北アフリカなどイスラム世界にもいたし、彼等はキリスト教世界のユダヤ人とは違った差別を受けていたわけで、その比較をする必要があります。また、本書では全く触れられていないパレスチナ問題ですが、イスラエル(ユダヤ人とイコールでは全然ない)とパレスチナの問題は差別と非差別の関係を逆転させており、「反パレスチナ主義によるパレスチナ問題の生起」「パレスチナ人の受難に責任を負う民」という現実は、少なくとも長期的には、内田センセーの「私家版」として取り出した、サルトルやレヴィーナスのユダヤ人論を破壊する可能性があるのではないか。そして、そのときキリスト教政界における反ユダヤ主義とパレスチナ問題はリンクしながら問題解決に向かってゆくのか、あるいはさらなる受難をもたらすものなのでしょうか。

何はともあれ、面白かったです。嫌いじゃありません。



西村吉正「金融行政の敗因 」2010/04/03 03:50:18


西村吉正「金融行政の敗因 」文春新書(1999年)

著者は1994年から1996年の大蔵省銀行局長。本書の刊行は1999年、退官3年で大蔵官僚が自分の経験を著書にするのは極めて珍しいのではないでしょうか。退官後、北拓、長銀、日債銀等の破たんが続き本番の金融危機が来るわけで、まさに著者の在任時期は「ミッドウェー海戦の頃」です。

当時の事実を全部書いているわけではないでしょうが、結構踏み込んだ事も書いていると思います。金融機関や住専の処理は随分もたついた様に思われていますが、ほとんど金融機関の破たんの経験のない当時としてはやむをえない点が多々あったと思います。

結局バブルの最大の要因は、土地神話とその結果としての土地担保偏重融資というのも納得です。金融自由化全般に対する著者の評価もバランスがとれていると思います。

ちなみに、著者の在任前ですが、「特に80年代後半は政治主導を鮮明にした中曾根内閣の時代であった。バブルつぶしの時期は海部内閣の時代であるが、当時、与党は小沢幹事長、内閣は橋本蔵相の強いリーダーシップでむしろ従来以上に政治主導の色濃かった時期と言えるように思う。」(p.71)ということで、バブル形成期以後には官僚の力は既に後退し始めており、国会、政府、官僚の相互的力関係の中で意思決定がなされていたようでです(各行のMOF担が叩かれるのはもう少し後ですが)。

現在品切れで、再版されることもなさそうですが、現在でも読む価値のある著書だと思います。



カフカ「城」2010/04/04 03:23:21


カフカ「城」新潮文庫(1971年)

測量師Kが伯爵に雇われ所領の村までやってくるが、伯爵の城の役人達や村人の奇妙な応対にあい、村の中をあれこれ動き回るが、結局らちがあかないまま話は終わる。不思議な小説です。

解釈はさまざまあるようです。私は、人間が社会や組織に対して幻想(思い込み)を抱くことにより、幻想が自己実現し人間を支配していく様を描いているように思います。本当は支配者なんていないのに自ら勝手に支配されていくとでも言うのでしょうか。実際は「城」による評価など分かりもしないのに村人どうしで、村八分にしたり、「城」の覚えのめでたいものとしてちやほやされたり。一方「城」の役人もKが強引に面談してみると、より上役の気持ちを「忖度し」指示を出す。村のことなどほとんど理解してないし、決定権も持っていないと言う。そして、「伯爵」は全く登場しない。

長編小説でこの単調な不条理さはかなり読みづらい。根気がいります。

読みだしてすぐに登場人物のやりとりが、上から俯瞰されているような印象を受たので、直ぐに映画になりそうだなと思ったののですが、実際DVDになっていました。いずれにしろ単調で見るの派苦しそうですね。



池上直己「ベーシック 医療問題<第3版>」2010/04/08 07:06:46


池上直己「ベーシック 医療問題<第3版>」日経文庫(2006年)

前著池上直己、J.C.キャンベル「日本の医療―統制とバランス感覚」中公新書(1996年)が、日米制度比較をして興味深かったが、本書は2005年改正を織り込んだ日本制度の解説です。現在の医療制度の考え方、概要を知るのに最適な書籍です。

老齢期の医療については、介護保険制度の改善、高齢者医療の改善、およびそれらの連携が指摘されていますが、ニュースで報道される数々の問題点も、その点が喫緊の課題であることを知らしめています。

さらに、社会福祉費増大の抑制とと世代間公平の観点から、介護、医療、老齢年金、さらに生活保護制度の連携を早急に改善する必要があると思います。

ちなみに、海外の制度の概説は旧<第2版>の方が詳しいので、興味のある人はそちらも参照すると良いでしょう。




2002年旧版(改訂・第二版)はこちら。

さくら2010/04/08 07:36:22

4月2日の近所の公園のさくら

日にちが経ってしまいましたが、近所の公園のさくらです。ほぼ満開でした。「あと何回(何年)さくらを見られるだろうか」ということばに微妙にリアリティが出てくるお年ごろとなりました。

海老沢有道校註「どちりなきりしたん 長崎版」2010/04/09 07:00:00


海老沢有道校註「どちりなきりしたん 長崎版」岩波文庫(1950年、1991年改版)

本書の底本は、1600年(慶長5年)6月上旬長崎耶蘇会の後藤登明宗印刊行の国字本で、ローマのカサナテ文庫に所蔵される世界唯一の刊本です。

安土・桃山期の外国人宣教師が来日して布教活動を行うに際して、広く信徒に読ましめたものです。「どちりなきりしたん」とは“キリスト教の教義”の意で、現在の公教要理また教理問答ともよばれるものです。

「イデヤ(Idea;理念、キリシタン書では「相」と訳せられる)」、「ホルマ(Forma;形相、形態)」、「マテリヤ(Materia;物質)」などといった哲学概念(アリストテレス?)が語られており、武家階級、知識階級を対象として編纂されたものと考えられます。

問答形式で、それほど難しい日本語が使われているわけではないですし、ひらがなが多く難読な場合漢字を()内に付しています。そうは言っても、安土・桃山期の古文ですから、私の様に、古典が最も苦手な科目だった人間にはかなり苦しい。全体が短い(全部で118ページ)ので根性で読み進めていきます。

ちょっと引用、

弟子「ビルゼン サンタ マリヤに申しあげ奉るさだまりたるオラシヨありや。」

師匠「アベ マリアといふオラシヨなり。ただいまをしふべし。

ガラサみちみち玉ふマリヤに御れいをなし奉る。御あるじは御みとともにまします。によにん(女人)のなかをひてわきて御くはほう(果報)いみじきなり。又御たいないの御みにてましますゼズスはたつとくまします。デウスの御ははサンタ マリヤいまもわれらがさいごにも、われらあくにんのためにたのみたまへ。アメン。」

なんとか分かるけど大変です。



こちらにも「どちりなきりしたん」が掲載されていますが、たしかローマ字版からの翻字だったと思います。

まださくら2010/04/17 01:15:21

さくら

まださくら咲いています。

ハーバード白熱教室2010/04/19 01:59:49


ハーバード白熱教室(NHKのサイト)

「ハーバード白熱教室」の第3回を見ました。1000人を超えるとはすごい学生数です。あれこれ考えながら面白く見られます。日本の大学だと、普通「授業」ではなく「講義」と言いますが、これは講義ではないので、授業ですね。実際の授業に出席して意見を言いたくなりました(英語じゃ発言できませんけど)。

ただ、ケースメソッドの授業の経験があるので、もっと学生が発言して議論が白熱したり、教授にやり込められるのかと思っていました。それでも、通常の「講義」より断然面白いですね。日本では、この程度に学生の発言を求める授業は成立するんでしょうか。学生にそれなりの予習が求められるので難しいかな。

第1回からの再放送があるそうなので見てみたいと思います。そもそも、ハーバード大学のサイトにいけば全部の授業の動画が公開されているんですね。私の英語力では50%ぐらいしか理解できないので楽しめませんが。英語の得意な人がうらやましい。


アメリカでは、所得層の上位10%が富の70%を所有している。アメリカは、民主主義国の中で、富の分配については、もっとも不平等な社会の一つである。さあ、これは公正か不公正か?サンデル教授の質問から議論が始まる。その中でリバタリアンの哲学者、ロバート・ノージックを紹介する。リバタリアンの理論によれば、政府の介入が最低限に抑えられた最小国家のみが正当化され、政府は(1)人間を自分たちから守るような法律(シートベルトを強制する法律など)、(2)社会に道徳的価値観を押し付ける法律、(3)富める者から貧しい者への所得を再分配する法律、を制定する力を持つべきではない。サンデル教授はビル・ゲイツとマイケル・ジョーダンの例を挙げ、税金による再分配は強制労働と同じであるというノージックの理論を説明していく。
Lecture 5:課税に「正義」はあるか


アメリカには私立の消防会社がある。消防会社に登録し、年間の会費を払うと、家が火事になったら、やってきて消火してくれる。しかし、彼らは誰の火事でも消してくれるわけではない。このビジネスから始まり、リバタリアンの哲学者、ロバート・ノージックの論を紹介する。彼は貧困層の住宅、ヘルスケア、教育のために、富裕層に税金を課すのは一種の強制だと主張する。学生たちは大反論する。再分配のための課税は必要だ。貧しい人の多くが暮らすためには、社会福祉が必要なのではないのだろうか?しかし、累進課税システムの社会に生きていたら、税金を払う義務を感じなくなるのだろうか?多くの場合、お金持ちの多くは、富をまったくの幸運か、一族の財産として獲得しているのではないか?この授業では、学生からなる「リバタリアン・チーム」が、これらの反論に応え、リバタリアンの哲学を弁護する。
Lecture 6 「私」を所有しているのは誰?

「アスペルガー症候群 活躍の場を求めて」『クローズアップ現在』(NHK総合)2010/04/22 05:12:55


「アスペルガー症候群 活躍の場を求めて」『クローズアップ現在』(NHK総合)、2010年 4月21日(水)放送

NHKで4月21日に放送された「アスペルガー症候群 活躍の場を求めて」を視ての感想。

以下、NHKサイトから引用を開始します。

引きこもり、うつ病など20~40代の間で深刻化する問題の背後の多くに、実はアスペルガー症候群が潜んでいることがわかってきた。アスペルガー症候群は脳の機能障害で、知的障害はないが他人の気持ちを推し量ったり、暗黙のルールを理解できないため、職場では「変わった人」と見られ、孤立を深めて社会からドロップアウトしていく人が少なくない。一方でIT技術など特定の分野において秀でた能力を持っている人も多く、周囲が障害を理解し、対応を工夫すれば、目覚しい活躍をすることも分かってきた。企業でも今、アスペルガー症候群の人を積極的に採用し、その力を活かそうという取り組みが始まっている。“アスペルガー症候群の人”たちが社会で活躍するためには何が必要なのか、当事者と雇用する側双方の取材を通して考える。
「アスペルガー症候群 活躍の場を求めて」『クロー自アップ現在』(NHK総合)、2010年 4月21日(水)放送

番組中のアスペルガー症候群の人達にはシンパシーを感じてしまう私である。「社会性の高い人とコンビを組んで仕事をしたい」という希望もよく理解できる。そこで、「自閉症スペクトラム指数(Autism-Spectrum Quotient: AQ)自己診断」というのを見つけたのでやってみた。

あなたの得点:36点、 社会的スキル:9点、 注意の切り替え:8点、 細部への注意:2点、 コミュニケーション:8点、 想像力:9点

「閾値を越えています。」との御託宣であった。ちなみに閾値は33点ということで、自閉症障害またはアスペルガー障害の診断基準にあてはまる健常者であり、健常者のうち高い自閉症スペクトラムに属するのかもしれない。(いじめにあったり、不登校の経験はない。20年以上サラリーマンを続けていた。ただし、度々周囲の人々から変わり者だと言われてきた。)

「予想通りの変わり者」といったところでしょうか。



ハーバード白熱教室(その2)2010/04/24 03:32:41


ハーバード白熱教室(NHKのサイト)

「ハーバード白熱教室」の第1回の再放送を見ました。道徳と功利主義の矛盾についての討論と言えるでしょうか。我々は無自覚に功利主義を前提にしていることが分かります。

学生の発言を聞いていて思ったのは、ハーバードの学生が優れた意見を持っているのではなく、自分の考えを言葉にする努力をしていることです。自分の考えを言葉にすることにより、論理の不十分さや異なる視点に気がつくことができる。

教授も学生の意見を引き出しながら授業を進めていくのが上手いですが、ロースクールやビジネスクールも含めてアメリカの大学の良いところだと思います。日本でやろうとすると学生が意見を言えないことより、教授が上手く授業を進められない事が問題でしょうね。


あなたは時速100kmのスピードで走っている車を運転しているが、ブレーキが壊れていることに気付きました。前方には5人の人がいて、このまま直進すれば間違いなく5人とも亡くなります。横道にそれれば1人の労働者を巻き添えにするだけですむ。あなたならどうしますか?サンデル教授は、架空のシナリオをもとにしたこの質問で授業を始める。大半の学生は5人を救うために1人を殺すことを選ぶ。しかし、サンデル教授はさらに同様の難問を繰り出し、学生が自らの解答を弁護していくうちに、私たちの道徳的な根拠は、多くの場合矛盾しており、そして、何が正しくて、何が間違っているのかという問題は必ずしもはっきりと白黒つけられるものではないことを明らかにしていく。
Lecture1:犠牲になる命を選べるか


サンデル教授は、19世紀の有名な訴訟事件「ヨットのミニョネット号の遭難事件」から授業を始める。それは、19日間、海上を遭難の後、船長が、乗客が生き残ることができるように、一番弱い給仕の少年を殺害し、その人肉を食べて生存した事件だった。君たちが陪審員だと想像して欲しい。彼らがしたことは道徳的に許容できると考えるだろうか?この事例を元に、哲学者、ジェレミー・ベンサムの功利主義「最大多数の最大幸福」についての議論を戦わせていく。
Lecture2:サバイバルのための殺人