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インターナショナル2010/05/01 09:41:14

今日は5月1日。ホントのメーデー

メーデーと言えばインターナショナル

立て飢えたる者よ 今ぞ日は近し
覚めよわが同胞 暁は来ぬ
暴虐の鎖断つ日 旗は血に燃えて
海をへだてつ我等 腕結びゆく
いざ戦わんいざ 奮い起ていざ!
ああインターナショナル 我等がもの
いざ戦わんいざ 奮い起ていざ!
ああインターナショナル 我等がもの

インターナショナル諸バージョン

半藤一利「昭和史 1926-1945」2010/05/05 06:00:56


昭和史 戦後篇 1945-1989 (平凡社ライブラリー)

講演会のスタイルでまとめられた「昭和史」の戦後編。ストーリーというより、目に付いた事実・記述をランダムに抜き書きします。

昭和20年秋(渋谷駅のガード下、作家山田風太郎の日記より)「赤尾敏大獅子吼、軍閥打倒!(p.91)」(豆短の赤尾先生ではありませんよ。)戦後一貫して街宣車でアジテーションを行っていた、あの右翼の赤尾敏先生です。戦後すぐに活動を開始したんですね。

昭和21年1月24日幣原首相とマッカーサーの会談開催。幣原は昭和3年(1928)不戦条約の日本全権でした。不戦条約は結局日本でも批准されました。国際法上は現在も有効だそうです。この不戦条約は、条文を読むと憲法9条によく似ています。ほとんどそっくりです。幣原の秘書が、その日の、幣原とマッカーサーの会見の記録をのこしています。「(幣原は)かねて考えた世界中が戦力を持たないという理想論を始め、戦争を世界中がしなくなるようになるには、戦争を放棄するということ以外はないと考えると話し出したところが、マッカーサーは急に立ち上がって両手で手を握り、涙を目にいっぱいためて、その通りだといいだしたので、幣原は一寸びっくりした。しかしマッカーサーも、長い悲惨な戦争を見続けているのだから、身にしみて戦争はいやだと思っていたのだろう。(p.160)」となっています。マッカーサー側の証言はむしろマッカーサーから幣原に提案したことになっているようですが、マッカーサーの発言は一貫していないのが難点です。第9条は、その後ののGHQサイドの原案で具体化したものかもしれませんが、いずれにしろ文面から見て不戦条約は基本的な出典となっているのは疑問の余地はありません。すでに日本が批准済みの国際法を、憲法にとりいれたということになります。

GHQ草案にバタバタする内閣ですが、昭和21年2月22日、「(幣原)首相が(天皇に)経緯とGHQ草案の内容、極端にいえば「天皇は象徴」「主権在民」「戦争放棄」の三原則を伝えると、天皇は―幣原平和財団編「幣原喜重郎」によれば―次にように言われました。「最も徹底的な改革をするがよい。たとえ天皇自身がら政治的機能のすべてを剥奪するとほどのものであっても、全面的に支持する」(p.197)」。さらに「もう一説に、出典は不明なのですが、こうきっぱり言ったとも伝わっています。「自分は象徴でいいと思う」」。内閣が、国体護持だの君臣一如だのと結論の出ない議論をしていたときに、天皇の意見で、一転GHQ案受け入れですから、まさに第二の「聖断(p.197)」。当時の政治家の統治能力の低さが窺われます。陸軍海軍に手もなくひねられるのは当然か。

極東軍事裁判のA級戦犯の裁判での投票内容(推定)は以下の表の通り。(p.243)

11判事投票内容推定(P.243)
被告荒木大島木戸嶋田●広田●東条●土肥原●松井●武藤●板垣●木村
米国判事×××××××××
英国判事×××××××××××
中国判事×××××××××××
フィリピン判事×××××××××××
ニュージーランド判事×××××××××××
カナダ判事××××××××
オランダ判事×××××××
オーストラリア判事○○
ソ連判事○○
フランス判事○○
インド判事○○
○:死刑反対、×:死刑賛成

上の表を見てすぐ気がつくのは、英国、中国(当然蒋介石政府)、フィリピン、ニュージーランドが全ての被告の死刑に賛成していることと、反対に、オーストラリア、ソ連、フランス、インドは全ての被告の死刑に反対していること(オーストラリア、ソ連は天皇戦犯では強硬派と考えられていますが死刑には反対していた)です。結局、被告が死刑になったかどうかは、米国、カナダ、オランダ3カ国のうち2カ国以上が死刑に賛成か否かで決まりました。

松井(上海派遣軍司令官)は南京事件、板垣征四郎(第7方面軍(シンガポール)司令官)はシンガポール華僑虐殺事件、武藤章(第14方面軍(フィリピン)参謀長)はマニラ大虐殺、木村(ビルマ派遣軍司令官)は泰面鉄道での捕虜虐待、土肥原(在満特務機関長)は満州での残虐行為といったように、絞首刑になった7人の内の5人はA級戦犯ですが、実質的にはB・C級戦犯の罪状を前提にして死刑求刑にされたように見える(もちろん裁判上おかしい)。いずれも、米国、英国、中国(当然蒋介石政府)、フィリピン、ニュージーランド、カナダ、オランダが全て死刑に賛成、オーストラリア、ソ連、フランス、インドが全て死刑に反対というのにも符合するというのが著者の意見。結構説得力があるのではないでしょうか。一方、東条(首相)と広田(外相)は、本来のA級戦犯の罪状で裁かれたと言えるでしょう。東条は、米国、英国、中国、フィリピン、ニュージーランド、カナダ、オランダの七票、一方文民の広田(外相)は、米国、英国、中国、フィリピン、ニュージーランド、カナダの賛成とオランダ、オーストラリア、ソ連、フランス、インドの反対に分かれ、一票差で死刑となりました。アメリカとカナダが何で文民の死刑に賛成したのだろうか?著者は、自殺した近衛(首相)の身代わりに、軍人1人(東条)、文民1人(広田)に責任を負わせたのではないかと見ているようです。

他にも、天皇とマッカーサーの会見(随分と具体的な政治外交情勢について話し合っています)だとか、非武装をめぐる吉田茂と米国側のやり取りとか面白い話がいっぱいありますが、今日はこれくらいに。



広野彩子「自民党が少子化を加速させた―自民党・野田聖子衆院議員インタビュー」日経ビジネスオンライン(2010年2月15日(月))2010/05/07 07:04:00


広野彩子(日経ビジネス記者)「自民党が少子化を加速させた―自民党・野田聖子衆院議員インタビュー」日経ビジネスオンライン(2010年2月15日(月))

今頃になって発見したのですが、日経ビジネスオンライン(2010年2月15日(月))の記事から。自民党の野田聖子衆院議員へのインタビューです。少子化問題をストレートに語ります。

野田 聖子(のだ・せいこ)氏

1960年生まれ。83年、上智大学外国語学部比較文化学科を卒業、帝国ホテルに入社。87年、岐阜県議会議員選挙に当選。国政へは、1度の落選を経て93年、衆院議員総選挙に初当選。98年、第1次小渕政権で郵政大臣。2008年、内閣府特命担当・消費者行政推進担当・宇宙開発担当大臣。6期目。少子化に関する著書に『だれが未来を奪うのか 少子化と闘う』(講談社)がある。

ほとんど政治的主張は異なるですが、少子化の問題については非常に共感します。多くの人に読んでほしい。

経済との関連性などが分析できていなかった上、少子化でもしばらく経済成長率が下がらず、ずっと右肩上がりで来た。それを経験してきた自民党は「少子化が経済を傷めている」という認識を持たずにきた。だから、単なる女のわがままだと考えたのです。

「単なる女のわがまま」と考えていたていた時点で、自民党は何も理解できていなかった。すでに危機的な状況にあったにも関わらず、「保守文化心情」=「封建的女性観」に囚われていた。

―― 「少子化は女性のせい」という意識は、日本の今の意思決定層の年代に蔓延していませんか。

政治だけでなく、経済界すべての業界に及んでいます。でも長寿国家ですから、その人たちがいなくなるのを待っていられません。待っていたら、子どもがますますいなくなる。だから、今どうにか頑張らなくてはいけない。

まずは民主党に、夫婦別姓が実現出来るかどうかです。子ども手当は今いる子にあげるお金ですが、少子化は子どもを増やす必要がある。子ども手当では子どもは増えないでしょう。高学歴・高所得の女性から生まれにくいのが日本の特徴で、そこが一番の問題点なのに改善されない。

「少子化は女性のせい」という考えに凝り固まって有効な対策が打てない既存権力。夫婦別姓はこの「封建的女性観」を破壊する強力なツールなはずであった。

フランスで生まれている子どもの4割が法律上、シングルマザーです。日本は1~2%。この差が大きいことが分かっていない。

少子化対策は、「ありとあらゆること」をしなければだめだと思っています。夫婦別姓はその「あ」程度です。自民党政権では、それすらだめでしたから。

―― 夫婦別姓は、少子化対策でそんなに大きいファクターなのですか?

結婚の多様化を進める要素です。ようは、この国は結婚しないと子どもを産まない国で、子どもを生む大前提は結婚です。

しかし結婚は同姓でなければいけないというルールから外れた人もいるわけで、そういう色々な結婚の形を認めることは、恒常的に子どもの数を増やす可能性がある政策なのです。

結婚しなくても子どもを産んでも大丈夫なら、インセンティブになると思います。結婚しない限り子どもを産まないのなら、結婚の多様化を考える。フランスもそれで子どもが増えた。日本では今でも、シングルマザーだと少し白い目で見られる。それがフランスにはなく、むしろ主流です。

夫婦別姓、結婚形態の多様化、婚外子の権利保護、たしかに自民党では(民主党でも)反対するジジ、ババが多そうだ。

もちろんこれは相当極端な話で、現実には難しいです。私が言いたいのは、それぐらい「えぐい」テーマにしないとだめだと言う事です。今は、まだ議論がきれいごとで終わっています。

でも即効性を求めるなら、20万人のうちもし半分が中絶できなければ、10万人が生まれてきますよね? そういう極端な議論もひっくるめた、本気の、包括的な議論が必要だと言いたいのです。

でもそういう真正面の議論は出来ない。自民党はずるくて、「中絶は女性の権利だ」と言って逃げていた。でも本来、女性の権利はちゃんと避妊できることで、中絶できることではない。問題をすり替えている。

中絶を厳格化するのと引き換えにピルの自由化をしたら、適正に子どもが生まれてくるでしょう。でもなぜかしていない。ピルが認可されるまでに数十年かかりました。バイアグラは1年ぐらいで認可されたのに(笑)。

ピルの承認と中絶の厳格化、今まで曖昧にしていたものを明らかにして、子供の出産を促す方法です。

―― 義務と同時に意欲を引き出すことも大事だと思います。フランスでは出産して育児をし、かつ仕事をしているいいモデルが、政治にも企業にもいる。

橋本聖子議員に「産むなら辞めろ」と抗議した国民

私、もうすぐ50歳になります。私の前の世代は、「女として何もかも犠牲にして頑張りました」という人が尊敬され、土井たか子さんとか、市川房江さんのように生涯独身で政治に身を捧げた人がロールモデルでした。「それはないだろう」と思う。変えたいけれど、実は、この国の人って厳しいのです。

10年ほど前、橋本聖子参院議員が妊娠した時、「仕事を辞めろ」という抗議文がたくさん届いた。全国民、男女問わず。それもあって、彼女は産後5日で復帰した。国民には女が男並みに仕事するなら子どもを産むなという価値観が強かった。

―― 支援する声はなかったのですか。

その時はなかったようです。でも、2009年に現職閣僚でありながら2人目を妊娠した小渕優子衆院議員の時は、支援と抗議、半々ぐらいだったそうです。情報を伝えるマスコミも意思決定が男性主導ですし。政治もマスコミも一見平等に見えて、実は全然違うでしょう?。

自民党の橋本聖子国会議員の妊娠の際には、仕事をやめろとの抗議文が、男女を問わず届いた。年齢、男女を問わず固定した、性役割に固執する人達が、少子化に拍車をかけているという自覚を全く持っていない。まあ、小渕優子衆院議員になって若干改善したようですが。どうもこの辺の「国民感情」は「雅子妃バッシング」と繋がるものがあると思う。

試行錯誤で何でもやらないとダメな段階にきている

今の60代、70代のおじさんたちが「えええーっ」と仰天するようなことをしないと、少子化は止まりません。少子化を加速させてきたのはこの人たちです。増やすなら逆を行く。

今の若い世代は、共働きでなければ生活していけません。民主党がそれに向けて抜本的に対策できるかというと、自民党ののれん分けみたいな人がたくさんいるから、そこまではできないでしょう。でも何でもあり、少子化対策にタブーなし、というのがどの党でも大前提だと思います。

この政策に限っては、如何なる手段を用いてもジジ、ババの意見を無視して、実現すべきである。

歴史的に人口が減って栄えた国はないと言われます。ローマ帝国も人口が減って滅びました。正直言うと、こんな議論を今さらしているようでは、手遅れです。この10年が勝負だったと思います。内心忸怩たる思いがあります。

残り時間は短い。移民政策とも絡めた抜本的早急な対応が必要であることは間違いない。





5月4日(火)「DigTag ニュースガテン系・DJ神保くんが行く」(TBSラジオ)2010/05/09 06:36:53


5月4日(火)「ニュース探求ラジオDig」(TBSラジオ)[PodCastで聞くことができます]

旧聞ですが、5月4日のTBSラジオのニュース番組「ニュース探求ラジオDig」中のコーナー「ニュースガテン系・DJ神保くんが行く」(放送時間は24時をこえて5月5日にはいいていたようですが)で、ジャーナリストの神保さんが竹内香苗アナウンサーに「何故子供をを生みにくいんだろう?」と問いを発していました。少子高齢化にストレートに切り込みましたね。

これに対し竹内さんは、熱く語ってらっしゃいました。

竹内さんの発言を、私なりにまとめると、

(1)男性と女性の結婚時において、女性に不利益な暗黙の契約が存在し続けている。

(2)男性は今まで通り、仕事のみに専心し、女性は一方的に仕事に加え家事・育児を担わされる。

(3)同世代の男性の本音も、そういった女性の役割を暗に期待しているように感じている。

(4)そのような理不尽な契約のもとで、女性が結婚・育児を行うのは困難である。

これに対し、神保さんが「互いに自分の事は自分でやるという関係になったら単なる同居人と同じにならない?」と疑問を返すと、竹内さんは「友愛で結ばれる」と。(^.^)

神保さん「自分の同級生を見ていると、親世代と同じような性役割を求めるようになるとは思っていなかったが、親と同じ様な家庭になっている」。これに対し、竹内さん「母は完全犠牲でしたからね自分の事は」(ーー;)

男性に刷り込まれてしまっている「性役割期待」が有る限り、女性にとってデメリットばかりの、結婚・出産は困難になるばかりということですね。とても説得力ありますね。さらに、当事者の男性ばかりでなく、親世代や世間にこの「性役割期待」があるので、嫁姑関係等でも、仕事より家事・育児に専念すべきという圧力がかかるということもありますよね。

野田聖子議員へのインタビュー記事

10年ほど前、橋本聖子参院議員が妊娠した時、「仕事を辞めろ」という抗議文がたくさん届いた。全国民、男女問わず。それもあって、彼女は産後5日で復帰した。国民には女が男並みに仕事するなら子どもを産むなという価値観が強かった。
さらに、一般に女性の方が収入が低いという労働市場の問題。山田昌弘「少子社会日本―もうひとつの格差のゆくえ」岩波新書(2007年) から引用したように

「夫の育児、家事参加について多くの調査がなされている。そして、夫の家事、育児参加を増やす最大の要因は、妻の「収入」であることが分かっている。妻の収入が高くなると、夫の家事、育児時間が増え、妻の収入が低ければ夫は、家事、育児を手伝わない傾向が見られる」(p.161)。

ジジ、ババ(だけでは無いかもしれいが)の古色蒼然たる性役割分担論の粉砕と、男女賃金の格差廃絶のみが、少子化を止めることができるだろう。どうも、自民党にも民主党にも解決出来そうもないが。

ロバアト・オウエン(著)五島茂(訳)「オウエン自叙伝」岩波文庫2010/05/14 04:40:03


ロバアト・オウエン(著)五島茂(訳)「オウエン自叙伝」岩波文庫(1961年)

ロバアト・オウエン(1771-1785)の自叙伝です。「ワンダーボーイ」のマイケル・オーウェン(1979-)ではありません。マルクス・エンゲルスの言う空想的社会主義(utopian socialism)のシャルル・フーリエ、アンリ・ド・サン=シモン、ロバート・オウエンの3人の内の一人。

オウエンは、1771年、ウェールズで、馬具や金物を扱っていた家庭に7人兄弟の6番目の子供として生まれた。幾つかの小売商で商売を学んだあと、1780年頃からマンチェスターで工場を経営、1799年には、スコットランド・グラスゴーの工場ニウ・ラナアック(ニュー・ラナーク)を経営していたデイヴィッド・デイルの娘カロラインと結婚、のちニウ・ラナアック(ニュー・ラナーク)の共同経営者となった。

オウエンは、労働者の労働条件を改善、特に幼少の子どもの工場労働を止めさた。子供たちにむけて、性格改良のための幼児学校を工場に併設した(幼児性格形成学院)。幼児教育の最初の試みであった。教師は子供に決して威圧的なあるいは懲罰的な態度をとらないことを絶対条件とし、ダンス・音楽・軍事教練を中心に、教室での授業では、掛け軸を利用する教育方法がおこなわれた。

その後、ニウ・ラナアックでの経験をもとに、1814年から工場労働者の権利保護(児童労働の禁止)の法律制定に向け活動を開始した。しかし、同業者からの強い反対を受け議員による骨抜きが進み、オウエンは熱意を失う。

1817年には、幼児教育による高い労働力の育成、労働者の環境改善と教育により、合理的な生産を実現する工場の建設を進めるべく講演会を開催した。その場でオウエンは、「現存全宗教の否定」を宣言した。

その後、オウエンはヨーロッパを外遊、多くの政治家、資本家、知識人と友誼を結び、多数のオウエンの持論の賛同者を得た(と言っている。)帰朝後は、再び労働者の環境改善と幼児教育の改善を目指して、有力聖職者、議員、貴族、王族などに対し運動を続けるも十分な成果は得られなかったようである。自伝の大筋はここまである。

実際のオウエンはこの他ににも、アメリカにわたり新しい共同体の創設を試みたり、イギリス国内の協同組合、労働組合などの設立にもかかわっていたようである。実績は非常に多岐にわたった人である。ただし、晩年心霊術にハマったようで、故人の王族と会話をしたなんてことも書かれています。

オウエンは社会主義者といっても、(出自はそれほどでもありませんが、その後は)裕福な資本家であり、労働者、その子弟に対しては、いささか家父長的な態度が感じられます。労働者、子弟をオウエンの理想とする人格にのみ形成して行こうとしています。もちろん、当時としては画期的な、労働者教育ですが、現在からみれば随分と独善的な方法でもあります。

オウエンの社会制度(the Owenian system of society)により社会を改革しその結果、社会は「黄金時代」(The Millenium)となると言っています。「共産主義と千年王国」という強い繋がりがここでも明らかとなっています。

「科学から空想へ」。もう一つのステップ。

そして現在のニュー・ラナークは世界遺産となっています(日本語が不自然...)。