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フリッツ・ブッシュ「指揮者のおしえ」2015/05/21 05:34:24

フリッツ・ブッシュ「指揮者のおしえ」(春秋社)という本を読んでいます。まだ途中なのですが、幾つか驚いた事が書いてあったのでメモしておきます。



「オペラ」(4章目)は、オペラについてとても悲観的な記述から始まる。自分の大劇場での20年の活動も満足できる結果を残せていない。もしかするとオペラは<映画>にとって代わられるかもしれないとまで言っている。映画であれば、最高の歌手、本当に力のある演出家、十分な音楽の準備によってオペラ作品の傑作をつくれるというのである。もちろん最も優秀なオペラ作品の実演にはおよばないが、日常的に劇場で上演されているような凡庸なオペラ作品は駆逐されるだろうという意味のことまで言っている。

つまり、当時一部の大劇場を除けば、歌手もオーケストラも能力が低く、ブッシュにとって全く容認できないレベルであったようである。オーケストラは十分な規模の編成を行えず、「いいかげん」な演奏しかできない、歌手は声は良いが音楽の心得が欠けているか、音楽の心得はあるが良い声をしていないといった具合。

歌手の演技や演出が映画と比較されるようになり、その質の低さががあらわになってしまったというのである。これでは観客に見放されるであろう、というわけだ。

一方、ブッシュは自分が指揮をした1932年ベルリン市立オペラ、ベルディ「仮面舞踏会」における非常に周到な準備の内容を細かく解説している。ここまでやって初めて、必要な水準のオペラが上演できるのだということだろう。

そして続く「歌手」(5章目)では、優秀な歌手の少ないことを嘆いている。歌手の教育手法が確立されておらず、声楽教師がてんでの自己流の指導をして、良い歌手をほとんど育てることができていないという。ある歌手は楽譜を理解できていなかったという話まである。歌手教育の組織化を望んでいたのだろう。このあたりも本書執筆の動機となったのかもしれない。

ただし、ここで語られている時代は、戦間期や第二次大戦中のことであり、制約も多かったであろう。とは言え、ヨーロッパのオペラはかなり惨憺たる状況であったようだ。

音楽大学等で、指導法を確立し、広い知識、教養や技能を身に着けた音楽家が潤沢に生み出されてこそオペラ上演の質は維持できる。その環境が整わなければヨーロッパでさえオペラ上演の質は低下するのである。

なお、この原稿の主要部分は1940年サンフランシスコからブエノスアイレスへの船上で口述筆記されたもので、一部はずっと前に書かれていたものもあるそうである。出版は著者の没後、近しい音楽家達によって編集された。

ブッシュはドイツ人であるがナチスを嫌い1933年に拠点をブエノスアイレスに移す。夏のシーズンはナチスの影響の及んでいない北欧で客演をしていた。1940年スカンディナビアに滞在中ドイツの侵攻が始まり、ソ連を経由して太平洋岸へ出て、日本(まだ真珠湾攻撃の前)を経由し、アメリカに渡り、そこからアルゼンチンへの帰路に就いた。このときに書かれたのが本書である。

おまけとして、奥波一秀「クナッパーツブッシュ 音楽と政治」にあった話。ブッシュがケルン音楽院の学生だった時、クナツパーブッシュも学生で、同じ指揮法のクラスを受講していたそうである。ブッシュは、クナッパーツブッシュがクラスメートの中で頭抜けた才能を見せていたといっている。

ただし、辛辣な指揮法の教授は、ブッシュに対してもクナッパーツブッシュに対しても「無能だ、音楽をやめるべきだ」と酷評していたらしい。自分より高い才能を持った人間を正当に評価するのは難しいということだろう。

さて、フリッツ・ブッシュは1951年に没しており、録音はSP期に行われている。特に意識してブッシュの録音なんて買ってないので、ブッシュの録音持っているのかと思って調べたら、幾つかみつかった。いずれも古い録音を激安BOXにして売っているドイツのMEMBRANのCDであった。

下からはベルディの仮面舞踏会(本書で詳説されている演目。もちろんこの録音は1951年でずっと後。フィッシャー=ディースカウの歌唱が二曲。

下からは1947年のブラームス交響曲第2番。Danish State Radio Symphony Orchestra

下からは1950年のハイドン交響曲第101番。Wiener Philharmoniker

意外と録音を持っていましたね。続きを読みます。

ロバアト・オウエン(著)五島茂(訳)「オウエン自叙伝」岩波文庫2010/05/14 04:40:03


ロバアト・オウエン(著)五島茂(訳)「オウエン自叙伝」岩波文庫(1961年)

ロバアト・オウエン(1771-1785)の自叙伝です。「ワンダーボーイ」のマイケル・オーウェン(1979-)ではありません。マルクス・エンゲルスの言う空想的社会主義(utopian socialism)のシャルル・フーリエ、アンリ・ド・サン=シモン、ロバート・オウエンの3人の内の一人。

オウエンは、1771年、ウェールズで、馬具や金物を扱っていた家庭に7人兄弟の6番目の子供として生まれた。幾つかの小売商で商売を学んだあと、1780年頃からマンチェスターで工場を経営、1799年には、スコットランド・グラスゴーの工場ニウ・ラナアック(ニュー・ラナーク)を経営していたデイヴィッド・デイルの娘カロラインと結婚、のちニウ・ラナアック(ニュー・ラナーク)の共同経営者となった。

オウエンは、労働者の労働条件を改善、特に幼少の子どもの工場労働を止めさた。子供たちにむけて、性格改良のための幼児学校を工場に併設した(幼児性格形成学院)。幼児教育の最初の試みであった。教師は子供に決して威圧的なあるいは懲罰的な態度をとらないことを絶対条件とし、ダンス・音楽・軍事教練を中心に、教室での授業では、掛け軸を利用する教育方法がおこなわれた。

その後、ニウ・ラナアックでの経験をもとに、1814年から工場労働者の権利保護(児童労働の禁止)の法律制定に向け活動を開始した。しかし、同業者からの強い反対を受け議員による骨抜きが進み、オウエンは熱意を失う。

1817年には、幼児教育による高い労働力の育成、労働者の環境改善と教育により、合理的な生産を実現する工場の建設を進めるべく講演会を開催した。その場でオウエンは、「現存全宗教の否定」を宣言した。

その後、オウエンはヨーロッパを外遊、多くの政治家、資本家、知識人と友誼を結び、多数のオウエンの持論の賛同者を得た(と言っている。)帰朝後は、再び労働者の環境改善と幼児教育の改善を目指して、有力聖職者、議員、貴族、王族などに対し運動を続けるも十分な成果は得られなかったようである。自伝の大筋はここまである。

実際のオウエンはこの他ににも、アメリカにわたり新しい共同体の創設を試みたり、イギリス国内の協同組合、労働組合などの設立にもかかわっていたようである。実績は非常に多岐にわたった人である。ただし、晩年心霊術にハマったようで、故人の王族と会話をしたなんてことも書かれています。

オウエンは社会主義者といっても、(出自はそれほどでもありませんが、その後は)裕福な資本家であり、労働者、その子弟に対しては、いささか家父長的な態度が感じられます。労働者、子弟をオウエンの理想とする人格にのみ形成して行こうとしています。もちろん、当時としては画期的な、労働者教育ですが、現在からみれば随分と独善的な方法でもあります。

オウエンの社会制度(the Owenian system of society)により社会を改革しその結果、社会は「黄金時代」(The Millenium)となると言っています。「共産主義と千年王国」という強い繋がりがここでも明らかとなっています。

「科学から空想へ」。もう一つのステップ。

そして現在のニュー・ラナークは世界遺産となっています(日本語が不自然...)。



半藤一利「昭和史 1926-1945」2010/05/05 06:00:56


昭和史 戦後篇 1945-1989 (平凡社ライブラリー)

講演会のスタイルでまとめられた「昭和史」の戦後編。ストーリーというより、目に付いた事実・記述をランダムに抜き書きします。

昭和20年秋(渋谷駅のガード下、作家山田風太郎の日記より)「赤尾敏大獅子吼、軍閥打倒!(p.91)」(豆短の赤尾先生ではありませんよ。)戦後一貫して街宣車でアジテーションを行っていた、あの右翼の赤尾敏先生です。戦後すぐに活動を開始したんですね。

昭和21年1月24日幣原首相とマッカーサーの会談開催。幣原は昭和3年(1928)不戦条約の日本全権でした。不戦条約は結局日本でも批准されました。国際法上は現在も有効だそうです。この不戦条約は、条文を読むと憲法9条によく似ています。ほとんどそっくりです。幣原の秘書が、その日の、幣原とマッカーサーの会見の記録をのこしています。「(幣原は)かねて考えた世界中が戦力を持たないという理想論を始め、戦争を世界中がしなくなるようになるには、戦争を放棄するということ以外はないと考えると話し出したところが、マッカーサーは急に立ち上がって両手で手を握り、涙を目にいっぱいためて、その通りだといいだしたので、幣原は一寸びっくりした。しかしマッカーサーも、長い悲惨な戦争を見続けているのだから、身にしみて戦争はいやだと思っていたのだろう。(p.160)」となっています。マッカーサー側の証言はむしろマッカーサーから幣原に提案したことになっているようですが、マッカーサーの発言は一貫していないのが難点です。第9条は、その後ののGHQサイドの原案で具体化したものかもしれませんが、いずれにしろ文面から見て不戦条約は基本的な出典となっているのは疑問の余地はありません。すでに日本が批准済みの国際法を、憲法にとりいれたということになります。

GHQ草案にバタバタする内閣ですが、昭和21年2月22日、「(幣原)首相が(天皇に)経緯とGHQ草案の内容、極端にいえば「天皇は象徴」「主権在民」「戦争放棄」の三原則を伝えると、天皇は―幣原平和財団編「幣原喜重郎」によれば―次にように言われました。「最も徹底的な改革をするがよい。たとえ天皇自身がら政治的機能のすべてを剥奪するとほどのものであっても、全面的に支持する」(p.197)」。さらに「もう一説に、出典は不明なのですが、こうきっぱり言ったとも伝わっています。「自分は象徴でいいと思う」」。内閣が、国体護持だの君臣一如だのと結論の出ない議論をしていたときに、天皇の意見で、一転GHQ案受け入れですから、まさに第二の「聖断(p.197)」。当時の政治家の統治能力の低さが窺われます。陸軍海軍に手もなくひねられるのは当然か。

極東軍事裁判のA級戦犯の裁判での投票内容(推定)は以下の表の通り。(p.243)

11判事投票内容推定(P.243)
被告荒木大島木戸嶋田●広田●東条●土肥原●松井●武藤●板垣●木村
米国判事×××××××××
英国判事×××××××××××
中国判事×××××××××××
フィリピン判事×××××××××××
ニュージーランド判事×××××××××××
カナダ判事××××××××
オランダ判事×××××××
オーストラリア判事○○
ソ連判事○○
フランス判事○○
インド判事○○
○:死刑反対、×:死刑賛成

上の表を見てすぐ気がつくのは、英国、中国(当然蒋介石政府)、フィリピン、ニュージーランドが全ての被告の死刑に賛成していることと、反対に、オーストラリア、ソ連、フランス、インドは全ての被告の死刑に反対していること(オーストラリア、ソ連は天皇戦犯では強硬派と考えられていますが死刑には反対していた)です。結局、被告が死刑になったかどうかは、米国、カナダ、オランダ3カ国のうち2カ国以上が死刑に賛成か否かで決まりました。

松井(上海派遣軍司令官)は南京事件、板垣征四郎(第7方面軍(シンガポール)司令官)はシンガポール華僑虐殺事件、武藤章(第14方面軍(フィリピン)参謀長)はマニラ大虐殺、木村(ビルマ派遣軍司令官)は泰面鉄道での捕虜虐待、土肥原(在満特務機関長)は満州での残虐行為といったように、絞首刑になった7人の内の5人はA級戦犯ですが、実質的にはB・C級戦犯の罪状を前提にして死刑求刑にされたように見える(もちろん裁判上おかしい)。いずれも、米国、英国、中国(当然蒋介石政府)、フィリピン、ニュージーランド、カナダ、オランダが全て死刑に賛成、オーストラリア、ソ連、フランス、インドが全て死刑に反対というのにも符合するというのが著者の意見。結構説得力があるのではないでしょうか。一方、東条(首相)と広田(外相)は、本来のA級戦犯の罪状で裁かれたと言えるでしょう。東条は、米国、英国、中国、フィリピン、ニュージーランド、カナダ、オランダの七票、一方文民の広田(外相)は、米国、英国、中国、フィリピン、ニュージーランド、カナダの賛成とオランダ、オーストラリア、ソ連、フランス、インドの反対に分かれ、一票差で死刑となりました。アメリカとカナダが何で文民の死刑に賛成したのだろうか?著者は、自殺した近衛(首相)の身代わりに、軍人1人(東条)、文民1人(広田)に責任を負わせたのではないかと見ているようです。

他にも、天皇とマッカーサーの会見(随分と具体的な政治外交情勢について話し合っています)だとか、非武装をめぐる吉田茂と米国側のやり取りとか面白い話がいっぱいありますが、今日はこれくらいに。



山田昌弘「少子社会日本―もうひとつの格差のゆくえ」2010/04/29 04:23:32


山田昌弘「少子社会日本―もうひとつの格差のゆくえ」岩波新書(2007年)

これは少子化の要因を良くとらえていると思う。著者の言うとおり「仕事をしたいから女性は結婚しない」という俗説は疑問である。少なくとも自分の周りを見ていて違和感がある。「仕事を続けたい」と思うようなキャリアの仕事に就いている女性は少ない。ほとんどの女性は本人の意思に関係なく補助的な仕事にしか就くことができてない。

結婚して子供を産むことが経済的に維持可能であると考えられないから少子化が進む。普通、経済的に立ち行かない状況が予想される中で、結婚したり子供をつくったりしたら、「無計画」と言われる。

身も蓋もないけれど「夫の育児、家事参加について多くの調査がなされている。そして、夫の家事、育児参加を増やす最大の要因は、妻の「収入」であることが分かっている。妻の収入が高くなると、夫の家事、育児時間が増え、妻の収入が低ければ夫は、家事、育児を手伝わない傾向が見られる」(p.161)収入というインセンティブが無ければ、誰も家事、育児という労働に参加しない。



海老沢有道校註「どちりなきりしたん 長崎版」2010/04/09 07:00:00


海老沢有道校註「どちりなきりしたん 長崎版」岩波文庫(1950年、1991年改版)

本書の底本は、1600年(慶長5年)6月上旬長崎耶蘇会の後藤登明宗印刊行の国字本で、ローマのカサナテ文庫に所蔵される世界唯一の刊本です。

安土・桃山期の外国人宣教師が来日して布教活動を行うに際して、広く信徒に読ましめたものです。「どちりなきりしたん」とは“キリスト教の教義”の意で、現在の公教要理また教理問答ともよばれるものです。

「イデヤ(Idea;理念、キリシタン書では「相」と訳せられる)」、「ホルマ(Forma;形相、形態)」、「マテリヤ(Materia;物質)」などといった哲学概念(アリストテレス?)が語られており、武家階級、知識階級を対象として編纂されたものと考えられます。

問答形式で、それほど難しい日本語が使われているわけではないですし、ひらがなが多く難読な場合漢字を()内に付しています。そうは言っても、安土・桃山期の古文ですから、私の様に、古典が最も苦手な科目だった人間にはかなり苦しい。全体が短い(全部で118ページ)ので根性で読み進めていきます。

ちょっと引用、

弟子「ビルゼン サンタ マリヤに申しあげ奉るさだまりたるオラシヨありや。」

師匠「アベ マリアといふオラシヨなり。ただいまをしふべし。

ガラサみちみち玉ふマリヤに御れいをなし奉る。御あるじは御みとともにまします。によにん(女人)のなかをひてわきて御くはほう(果報)いみじきなり。又御たいないの御みにてましますゼズスはたつとくまします。デウスの御ははサンタ マリヤいまもわれらがさいごにも、われらあくにんのためにたのみたまへ。アメン。」

なんとか分かるけど大変です。



こちらにも「どちりなきりしたん」が掲載されていますが、たしかローマ字版からの翻字だったと思います。

池上直己「ベーシック 医療問題<第3版>」2010/04/08 07:06:46


池上直己「ベーシック 医療問題<第3版>」日経文庫(2006年)

前著池上直己、J.C.キャンベル「日本の医療―統制とバランス感覚」中公新書(1996年)が、日米制度比較をして興味深かったが、本書は2005年改正を織り込んだ日本制度の解説です。現在の医療制度の考え方、概要を知るのに最適な書籍です。

老齢期の医療については、介護保険制度の改善、高齢者医療の改善、およびそれらの連携が指摘されていますが、ニュースで報道される数々の問題点も、その点が喫緊の課題であることを知らしめています。

さらに、社会福祉費増大の抑制とと世代間公平の観点から、介護、医療、老齢年金、さらに生活保護制度の連携を早急に改善する必要があると思います。

ちなみに、海外の制度の概説は旧<第2版>の方が詳しいので、興味のある人はそちらも参照すると良いでしょう。




2002年旧版(改訂・第二版)はこちら。

カフカ「城」2010/04/04 03:23:21


カフカ「城」新潮文庫(1971年)

測量師Kが伯爵に雇われ所領の村までやってくるが、伯爵の城の役人達や村人の奇妙な応対にあい、村の中をあれこれ動き回るが、結局らちがあかないまま話は終わる。不思議な小説です。

解釈はさまざまあるようです。私は、人間が社会や組織に対して幻想(思い込み)を抱くことにより、幻想が自己実現し人間を支配していく様を描いているように思います。本当は支配者なんていないのに自ら勝手に支配されていくとでも言うのでしょうか。実際は「城」による評価など分かりもしないのに村人どうしで、村八分にしたり、「城」の覚えのめでたいものとしてちやほやされたり。一方「城」の役人もKが強引に面談してみると、より上役の気持ちを「忖度し」指示を出す。村のことなどほとんど理解してないし、決定権も持っていないと言う。そして、「伯爵」は全く登場しない。

長編小説でこの単調な不条理さはかなり読みづらい。根気がいります。

読みだしてすぐに登場人物のやりとりが、上から俯瞰されているような印象を受たので、直ぐに映画になりそうだなと思ったののですが、実際DVDになっていました。いずれにしろ単調で見るの派苦しそうですね。



内田樹「私家版・ユダヤ文化論」2010/04/01 06:26:29


内田樹「私家版・ユダヤ文化論」文春新書(2006年)

2006年だから、4年前の出版です。内田センセーは軽妙な文章で読者の楽しませてくれています。人気もありますね。「タツラー」なる人たちおられるそうです。ちょっと持って回った論理を展開するので好悪は分かれるのかもしれませんが。大学の入試部長にも就任し、学務に教育に学生に暖かく接しておられるのでしょうか。しかし、「あとがき」を読むと、先生のご苦労が偲ばれます。ある年「ユダヤ文化論」の講義を開講を終わり、「レポートを集めたら、『ユダヤ人が世界を支配しているとはこの授業を聞くまで知りませんでした」というようなことを書いていいる学生が散見された」そうです。お嬢さん方、かましてくれますね。内田センセーそれにめげずに、翌年度も開講し誤解を解こうと努力されたわけです(前年の受講者は聞いてないけど)。これが本書のネタということです。直接関係無いですが、東大の北岡教授がしばらく前の日経夕刊のコラムに書いていた、初めて東大から私立大学に移ったとき、学部長に呼ばれ、きついお達しがあったのは、「ここは本郷とは違うのだから、学生に分かるように講義をしなさい」と言われた、という話を思い出しました。研究中心の大学と違って一般の大学では、大学の教員といえども、学部学生を手とり足とり指導しなくちゃいけないでんすね。内田センセーのユーモアもこうして鍛えられたのでしょうか。

反ユダヤ主義は、そもそもユダヤ人のいない日本にも発生しているという論考は興味深いですね。明治初頭には、何故かいきなり「日猶同祖論」というトンデモ話が発生して(現在まで続いている)、欧米列強に差別されるユダヤ人は、同じく欧米列強から差別される日本と同じ境遇にあり、ともに欧米に対抗する必要がある。という一見親ユダヤ的な意見が出てくるわけですが、単に欧米の敵は味方だけの料簡です。さらに、シベリア出兵に際して、「シオン賢者の議定書」というトンでも本を仕込まされて、欧米政府資本の実権ユダヤ人ユダヤ資本にぎっており、欧米政府資本の進出はユダヤによる世界支配の手先であるなんていう陰謀説が流布してしまいます。この話は、現在でも、大手書店のコーナーに平済みされる「ユダヤ陰謀本」としては勿論、反グローバリズム、反ネオリベラリズムの文脈でも「ユダヤの陰謀」が顔を出します。日本は立派な反ユダヤ主義国のようです。

フランスの反ユダヤ主義の勃興と、破格の人生をおくったモレス伯爵が、明らかにファシズム、ムッソリーニ、ヒトラーの先駆けとなる反ユダヤ主義の「ヒーロー」として登場する話は興味を引きます。また、ドストエフスキーのユダヤ人嫌いもこの時期のフランスの反ユダヤ主義の影響を受けているという話もあったと思います。

反ユダヤ主義のさらなる分析として、非ユダヤ人サルトルを引用し「ユダヤ人は反ユダヤ主義が作った」というから議論を始めますが、著者は、この「政治的に正しい」議論には満足しません。これに対し、ユダヤ人レヴィナスの「六百万ユダヤ人―そのうちの百万人はこどもたちだった―の受難と死を通じて、私たちの世紀全体の償いえない刧罰がが開示された。それは他の人間に対する憎悪でる。それは、開示であり、黙示であった。(…)ふたたびイスラエルは聖書に記されている通り、万人の証人となり、その<受難>によって、万人の史を資に、死の果てまで進むべく呼び寄せられたのである。」を引きます。やはりユダヤ人は「選ばれた民」なのです(いわゆる選民という意味ではなく責任を負う民)。何故、責任を負うのか。それは、ユダヤの神は、個人の幸福や受難とは超絶したであり、罪なき人びとの受難こそ神の存在を顕す。最後は難解です。理解したつもりでいましたが、文章にしたら論旨がまとまりません。

と、まあ色々と論争的なネタを内田センセーは提供してくれたわけです。ここから、読者の妄想が必要になります。

第一に、著者は原則ユダヤ教徒とキリスト教徒の関係だけを見ています(日本の話が少し)。しかし、ユダヤ人は、パレスチナやイエメン、北アフリカなどイスラム世界にもいたし、彼等はキリスト教世界のユダヤ人とは違った差別を受けていたわけで、その比較をする必要があります。また、本書では全く触れられていないパレスチナ問題ですが、イスラエル(ユダヤ人とイコールでは全然ない)とパレスチナの問題は差別と非差別の関係を逆転させており、「反パレスチナ主義によるパレスチナ問題の生起」「パレスチナ人の受難に責任を負う民」という現実は、少なくとも長期的には、内田センセーの「私家版」として取り出した、サルトルやレヴィーナスのユダヤ人論を破壊する可能性があるのではないか。そして、そのときキリスト教政界における反ユダヤ主義とパレスチナ問題はリンクしながら問題解決に向かってゆくのか、あるいはさらなる受難をもたらすものなのでしょうか。

何はともあれ、面白かったです。嫌いじゃありません。



橘木俊詔「消費税15%による年金改革」2010/03/28 04:02:15


橘木俊詔「消費税15%による年金改革」東洋経済新報社(2005年)

著者は、明快な答えを(前半の著差の案とゼミ学部学生の案には若干の違いがある)もっています。1階の基礎年金を税額賦課方式に転換し、現状であれば、15%の消費税による月17万円(サラリーマンと生業主婦、9万円(単身者)というものです。税額賦課方式を採用するわけですから、相互扶助による保険ではなく、公共財とみなす(小中学校の学費を税で給付するのと同じ)ことになります。さらに2階の厚生年金については、確定拠出式の私的年金に移行すべきとしています。

一つの案として整合性があり、見るべきものだと思いますが、問題もあります。第一に、社会保険の持っている「相互扶助」の概念を完全に捨ててしまっていいのでしょうか。物価水準の変動や一般生活水準の変動に対応するための具体的な方法が不明です。第二に、税額賦課方式に転換しても少子高齢化の進展が進めば、税額の増加か給付の削減をせざるをえないでしょう。

2階部分については積立方式ですから、典型的にデメリットがあります。(金利変動が十分に追随できない)物価変動、一般生活水準の変動のリスクを回避できない等。そして「相互扶助」の概念はまったく排除されます。さらに、瑣末ですが、運用を政府一括にした場合「パッシブ運用」が効率の悪い産業に投資を続け、新規参入企業に資金を供給できないと言っていますが、ファイナンス理論的には明確な根拠を欠く主張です。また、世代間負担の公平と言われますが、他の世代が貧困の高齢期間をすごすことになっても、全く関知しないという考え方には納得できません。

以上の様に、著者と学生の主張は、「相互扶助」と「社会連帯」の意識を欠き倫理的な勤労意欲を低下させるのではないでしょうか。「倫理的」というのは健全な「社会紐帯」を維持する重要な要素だと思います。

個人的には、1階部分は財源面での税額比率の増加(現在でも基礎年金給付の2分の1は国庫負担)をしつつも、社会保険制度の面を残し倫理的勤労意欲を維持したいと思います。2階部分は現役世代の実質可処分所得に対する高齢者世代の必要所得率を社会全体で合意し、財政最悪期(2050年ごろ)にもこの比率が保持できるように負担給付、さらに積立金の増減を調整すべきだと思います。

賦課方式、積立方式の基礎的な議論の書として、本書は一読する価値があります。



柳宗玄「ロマネスク美術 (柳宗玄著作選4)」2010/03/27 05:10:53


柳宗玄「ロマネスク美術 (柳宗玄著作選4)」八坂書房(2009年)

『ロマネスク美術』(「大系世界の美術」第十一巻、学習研究社、1972年)の改訂版です。

ロマネスク美術を、通常の年代別、地域別などではなく

  1. 総 説 象徴芸術の大時代
  2. 第一章 天の像 ――― 天界、神の栄光を表す像
  3. 第二章 地の像 ――― 地界、人間を包む空間にある像
  4. 第三章 神の家 ――― 聖堂
  5. 第四章 素材・機能・造形 

の第一章から第四章までの四つの構成により論じています。絵画、彫刻、建築、工芸の分野にわたり縦横にロマネスク芸術とは何かを明らかにしていきます。

カラー図版には詳細な解説も付されており、ロマネスク美術に関心のある人には非常に価値ある著書です。

確かに値段は高いですよね。全巻完結してもらえるよう、頑張って買い続けましょう。