Google
 

Romeo and Juliet (1936, MGM)2013/06/09 06:45:00

■"Romeo and Juliet"の映画は繰返し映画化されているが、これは1936年公開、初期のものの一つ。当時のアカデミショー・ノミネート作品であった。



Youtubeにある予告編です



アカデミー賞ノミネート
作品賞
主演女優賞:ノーマ・シアラー
助演男優賞:ベイジル・ラスボーン
美術賞:セドリック・ギボンズ、フレドリック・ホープ、エドウィン・B・ウィリス

■現在の基準で見れば、俳優アップでのセリフが多く単調な印象があったり、絢爛豪華な美術や衣装なんですが歴史考証はどうよとか思ってしまいますが、ハリウッドのつくった豪華シェイクスピア作品として、十分楽しめる作品です

■ロミオは「レスリー・ハワード(1893-1943)」、当時43歳くらい。ジュリエットは「ノーマ・シアラー(1902-1983)」、当時34歳くらい。役の設定は10代のカップルですので、ちょっとイメージが違いますが。ここは大人の実力を見せて、セリフの安定感と感情表現で二人の恋愛を際立たせます。元々が舞台演劇ですから、そういう細かい(?)リアリティは重要じゃないとも言えます。

■脇を固めるのがロミオの友人でヴェローナの太子の親族マ-キューシオ「ジョン・バリモア(1882-1942)(*)ドリュー・バリモアのお祖父ちゃんです!!」が軽い身のこなしでおどけた役を演じています。しかし、ティボルトとの決闘で深傷を負い亡くなってしまいます。一方、ジュリエットの乳母「エドナ・メイ・オリヴァー(1883-1942)」は二人の間を取り持つ役回りで、ジュリエットを焦らすように話をそらしたりするなどユーモアのある人として描かれています。

■ジュリエットの従兄弟のティボルト「ベイジル・ラスボーン(1892-1967)」はマーキューシオを倒した後、ロミオと決闘となり、命を落とします。

■ところで、ベイジル・ラズボーンは戦前の映画版「シャーロック・ホームズ」の当たり役者だったそうです。一方、第2次大戦で亡くなった(搭乗していた中立国ポルトガルの旅客機がドイツ軍に撃墜された)レスリー・ハワードの息子、ロナルド・ハワードは戦後アメリカでヒットしたTVシリーズ版「シャーロック・ホームズ」を演じたそうです。ちょっと不思議な縁かも。



シェークスピア映画10枚組の1枚として入っています。

ケン・ラッセル「マーラー(Mahler)」 (1974)2013/05/19 04:18:41

ケン・ラッセル「マーラー」(1974)

■昨日5月18日はマーラーの命日(1911年5月18日)でした。偶然数日前に買ったDVDをその命日に見ることになりまし。

■1911年、ニュー・ヨークから帰欧しウィーンへ向う列車内での、病魔に侵され死期の迫ったマーラーの見た夢、回想、現実の入り混じった世界が展開されます。

■こんな内容なので、典型的な伝記映画とは全く異なるものです。幼少時の生活、兄弟姉妹との生活、猟官、改宗、結婚、子供達の誕生、その死、妻アルマとの不仲、死の予感、など様々な夢や記憶や幻想がマーラーの脳裏を過るというものです。

■マーラーの伝記をよく知っていれば、あの話かというゆうエピソードもありそうですが、創作されたエピソードともども象徴的意味を担っているようです。反ユダヤ主義者コジマ・ワーグナーの件は、ナチズムの先取り的パロディになっていてチョット苦笑ものでしたが、これもラッセルの皮肉なユーモアだったのかも知れません。

■以上のように夢や幻想に様々な象徴が隠されたアート系映画なので、そういうのが苦手な人は受け付けないし、逆に、私の様な変な物好きにはスゴく面白いという、評価の別れる映画です。

■そうそう、忘れてましたが、映画の冒頭には、ヴィスコンティの「ベニスに死す」へのオマージュも入っています。

私のような、訳の分からない系の映画が好きな人を基準にして採点して☆☆☆☆☆です。その手の趣味の方はは是非御覧ください。そうでないかたは…… 

■追記:映画内の象徴的場面は、この本で予習しておくと少し分かるものがあるかもしれません。この本のなかで、この映画「マーラー」についても触れられています。


ストローブ=ユイレ「アンナ・マクダレーナ・バッハの年代記」[DVD]2012/01/25 05:55:00

ストローブ=ユイレ「アンナ・マクダレーナ・バッハの年代記」[DVD](1967)

20012年1月16日、アムステルダムの自宅でグスタフ・レオンハルト氏が逝去されました。83歳でした(1928年5月30日生)。心よりご冥福をお祈りいたします。

レオンハルト氏の訃報に接し、本作品を思い出して注文、早速視聴しました。同じように、本作品に興味を持たれた方々のためにちよっと私見などを書き散らします。

■本作品はけして取っ付き易くはありませんが、さりとて、難解そうだからといって敬遠してしまうのはとてももったいない「映画」です。確かにレオンハルト等の演奏にのみ興味がある方にとっては色々と違和感かあるもしれません。しかし、本作はあくまでもストローブ=ユイレ監督の「映画」なのです。レオンハルトが、誰もが思い出すバッハの肖像画とは「似ていない」のも、本作が「映画」だからです(解説冊子にストローブの語るこの辺の由来が載っています)。

■ストローブとユイレが、本作を構想し、当時ほとんど無名と言いってよいレオンハルトに出演を依頼したのが1957年。1959年にはショット構成台本等がほぼ完成。ところが資金集めに大変手間取り、ようやく1967年に撮影されました。アート指向の映画に金が集まらないは何時の時代も同じようです。

■基本的には、時系列にそった主にアンナ・マグダレーナの語りと資料(手紙や楽譜等)、演奏の映像から構成されています。語りも映像も極力演出や感情表現を廃して、非常にストイックで淡々と表現されていきます(全てモノクロ映像なのもその一貫でしょう)。さらに、多くのショットは、ほぼ完全に引きのショットで固定されおり、演奏者全体を見渡す構図となっています(稀に演奏者にズームしていくものもある)。その固定され引いたショットの構図は、演奏者全体の配置や教会での演奏場所、窓や装飾等の見せ方等々、驚くほど緻密につくられており「その場で見ていること・場所」を強く意識させるものだと思います。

■演奏は全て撮影と同時録音(しかも一部を除き一本マイク)されており、音楽もまた「その場で聴いていること・場所」を意識させるものなのだと思います。さらに、資料研究に基づいた、ピリオド楽器とオリジナル奏法の復元による演奏というレオンハルトやアーノンクールの活動は、ストローブ=ユイレの「その場で見ている」「その場で聴いている」という演出の構造とパラレルな構造にあり、映画全体を支える重層的な構造を与えているのだと思います(だからこそストローブ=ユイレはレオンハルトやアーノンクールを起用したのではないのだろうか?)。

■本作はよくある「音楽映画」でもないし、演奏の「記録映画」でもありません。あくまでもストローブとユイレによる「映画」なのです。是非この「映画」を楽しんでください。ちょっと値段が高いですが思い切って買う価値があると思います。ここは<★★★★★>(5つ星)で。


ロバート・J・フラハティ「アラン」(DVD)2009/11/21 05:00:00


ロバート・J・フラハティ「アラン」(DVD)(1934年)

シング「アラン島」のおよそ30年後に撮影された「ドキュメンタリー」映画。「ドキュメンタリー」といっても相当の演出がされています。単純な記録映画ならあり得ないカメラワーク、空と雲を印象付ける遠景カットやロー・アングルなど満載ですが、荒々しい自然や島民の表情を巧みに操って、ある意味「非常に様式的な」表現を実現しています。また、主要な見せ場になっている鮫漁は、撮影時点で50年以上前から行われていなかった廃れた漁だったそうです。実際、30年前のシング「アラン島」には鮫漁の事は全く触れられていません。

[CiNii(国立情報学研究所論文情報ナビゲータ)]原田美知子「映画『アラン』考 : 1930年代のアイルランド」(2006年)というペーパ―に詳しく書かれていたのですが、当時のアイルランド自治政権は民族主義傾向が非常に強くファシズム的ですらあったため、その政治的プロパガンダとしてこの映画が意識されており、その趣旨に適合したその「様式美」はファシズムの美学そのものです(レニ・リーフェンシュタール「民族の祭典」等を想起させる)。従って、自治政府はこの作品を「ケルト的であることの典型」として称揚しました。

そもそもフラハティはシング「アラン島」のに触発されたともいわれていますが、そのためか、シング「アラン島」と映画「アラン」には共通点があります。例えば、映画冒頭でカラハ(地元の小型船)に穴が開くのですが、シング「アラン島」で記載されたいたのと同様に、衣服の一部をちぎって穴を防ぐ応急措置が行われます。一方、逆にシング「アラン島」では、農作物の生育もままならず、借金が返済できなくなった農家に対し、借金の担保収容に警察力が導入されるという、地主階級と小作階級の対立も描かれていますが、映画では岩と海に立ち向かう雄々しい島民のすがたしか描かれません。地主階級は全く見られません。

カラハが波に翻弄される姿や、海岸線に打ち寄せる波と、波がしらが散って、雨か霧のようになって島内に降り注ぐ様子はは、シング「アラン島」の記述に具体的なイメージを与えてくれます。最近出た普及価格版といことなので、シング「アラン島」ともども、楽しむことができると思います。

[CiNii(国立情報学研究所論文情報ナビゲータ)]原田美知子「映画『アラン』考 : 1930年代のアイルランド」紀要. 桜美林英語英米文学研究第46輯(2006年3月)、桜美林大学



フランク・キャプラ「群衆」(DVD)2007/12/29 11:35:52


「群衆」(原題:"Meet John Doe")
製作・監督:フランク・キャプラ
脚本:ロバート・リスキン
撮影:ジョージ・バーンズ
音楽:ディミトリ・ティオムキン
出演:ゲーリー・クーパー、バーバラ・スタンウィック、ウォルター・ブレナン、エドワード・アーノルド、ジェームズ・グリースン
ワーナーブラザーズ映画(1941年)

500円の廉価版の中古品をネット古書店で251円で入手しました。

キャプラ作品は全く初めて見たのですが、純朴な主人公が数々の困難に直面しながら社会悪と闘って正義を貫く、というの典型的なキャプラ作品ストーリーだそうです。

政治的野心を抱いた新オーナー、ノートン(エドワード・アーノルド)に買収された新聞社では、大幅な人員整理がおこなわれ、女性記者アン(バーバラ・スタンウィック)も解雇を言い渡されます。自棄になった彼女は、最後に担当したコラムに、社会の現状を批判し、クリスマスに市庁舎から投身自殺をすると予告するJohn Doeからの投書という捏造記事を書きます。

ところが、John Doeの記事は読者に大反響を巻き起こします。新聞社は対応に困り、アンを呼び出して、事態を収拾するような記事を書くように言います。ところがアンは、John Doeの替え玉を雇い、記事を書き続けるよう主張し、果てはボーナスまで要求します。もし主張が通らないなら、ライバル紙に真相を全てぶちまけると脅迫めいた言葉まで吐きながら…

編集長は納得しないのですが、ノートンは彼女のアイデアを支持し、替え玉探しが始まります。元マイナーリーグの野球選手で、現在はホームレスの実直そうな二枚目、ウィロビー(ゲーリー・クーパー)が替え玉に選ばれます。

アンはJohn Doeのゴーストライターとなって、隣人愛を訴える原稿を書き、ウィロビーに講演をさせます。この主張は大衆を魅了して、ウィロビーは、全米で講演会を開き、各地には隣人愛を広める「ジョン・ドー・クラブ」が雨後の竹の子のように作られていきます。

ついには「ジョン・ドー・クラブ」全国大会まで開かれることになるのですが、ノートンは、自身の大統領選出馬のために「ジョン・ドー・クラブ」を利用していたのであり、全国大会でウィロビーが自分を大統領候補として推薦するスピーチを用意させていました。実はノートンは、軍服のような制服を着た私兵部隊を要する、ヒットラーやムッソリーニを髣髴とさせるような人物だったのです。

真実を知ったウィロビーは、大会場で真相を語ろうとしますが、ノートンは「ウィロビーはJohn Doeを騙る詐欺師だ」という号外を会場に撒き、私兵部隊に扇動された群衆は、ウィロビーに罵声を浴びせます。

そしてクリスマスの日、ウィロビーは…

という粗筋です。

現代人の皮肉な眼からすれば、「こんな甘っちょろい話、テレビの2時間ドラマでもないだろ!」ってところなのですが、結構感動してしまいました。

その中で、ウィロビーのホームレス仲間で皮肉屋の「大佐」(ウォルター・ブレナン)が、いわば「我々の眼」を代弁してくれます。彼の存在があればこそ、おとぎ話めいたストーリーに追随できたのかもしれません。制作当時の観客にとってと、現在の我々にとってでは「大佐」の持つ役割が全く異なっているのかも知れません。女性記者アン役のバーバラ・スタンウィックはとても魅力的です。結末も100%ハッピーエンドではなく、「未だ希望は残っている」という最後で悪くありません。

フランソワ・トリュフォー「華氏451」(DVD)2007/04/07 03:07:09


華氏451(Fahrenheit 451)
1966年/イギリス/フランス
キャスト:オスカー・ウェルナー/ジュリー・クリスティ/シリル・キューザック/アントン・ディフリング/アレックス・スコット
スタッフ:製作:ルイス・M・アレン
監督:フランソワ・トリュフォー
脚本:ジャン・ルイ・リシャール/フランソワ・トリュフォー
撮影:ニコラス・ローグ
DVD発売元:ユニバーサル・ピクチャーズ・ジャパン

の感想です。

若い人達がSFだと思って見ると、チョッと辛いのでしょうが(最近のCG映像を見慣れた人から見たら、特撮部分は「笑っちゃう」でしょう)、でも本作をSFと思って見てはいけません。

さらに、トリュフォー、批評家共に認める大失敗作だった…らしいのですが、私にはとても面白い映画でした。


双方向壁掛けテレビから、人々に「従兄弟たち」と呼びかけるTVキャスター。その世界に文字はない(ちなみに映画冒頭のタイトルバックも一切文字無し)。

知識を得ること(即ち、書物を読むこと)により、反社会的な思想が生まれる。知識を得て、社会に疑問を抱き、批判的に思考することは全て禁止されるべきなのだ。

だから、「消防士(fireman)」達は、反社会分子の家宅を捜索し、書物を押収し、焼却する。

その書物に興味を持ってしまい、現状に疑問を感じ始めてしまった一人の消防士は、やがて…


双方向壁掛けテレビは、間違いなく、私の子供の頃の「未来」(年が分かりますね)。そしてその「未来」は今や現実となっています。

では、文字のない世界、知識、批判的思考の禁じられた世界は?

もしかすると、これも現実…


なお原作が、

レイ・ブラッドベリ(宇野利泰訳)「華氏四五一度」早川文庫(2000年)

映画は、原作とは若干ストーリー、特に結末が異なるそうです。

そして、本作品の撮影日記が、

フランソワ・トリュフォー(山田宏一訳)「ある映画の物語」草思社(1986年)
現在品切れ、POD版が入手可

で読めますが、何れも未読なので、何時か感想を書きたいと思います。

ちなみに、レイ・ブラッドベリは、マイケル・ムーアの「華氏911」のネーミングには、かなりご立腹だそうな。

以下はAmazonの広告です。