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ザミャーチン「われら」(1920年頃)2009/05/05 05:55:55


ザミャーチン「われら」岩波文庫(1992年)

ソ連の作家ザミャーチンが、1920年から1921年に執筆した小説です。

当初は筆写で流布し、ソ連の作家の中ではよく知られていたそうです。1924年に英訳が出版、1927年プラハの雑誌にロシア語原文が発表されました。執筆当時はちょうどネップ(新経済政策)開始のころです。未だそれほど政治的統制も厳しくなく、英訳の出版(この年にレーニン死去)も問題にならなかったそうです。

しかしロシア語原文発表の頃には、スターリンが権力を掌握しつつあり、政治的統制も強まっていたため、ザミャーチンは「反革命」として弾圧され執筆活動も禁止されました(トロツキイからも強い非難を受けています)。ゴーリキイの仲介で1931年に出国、(1936年がジイドのソ連訪問)、1937年にパリで客死しました。こうして本書は「もっとも悪質な反ソ宣伝の書」とされ、ペレスロイカ後の1988年まで国内で出版されることはありませんでした。

このように書いてしまうと、とても政治性の強い小説と見られてしまいますが、訳者が解説でも述べている通り、内容は正統的な反ユートピア小説です。

現実のソ連の方が、そのまま小説に突き進んでいってしまったのです。

「革命の芸術は芸術の革命でなければならない」という前衛芸術家たちの主張は、「形式主義」として非難され、万人に受け入れられる具象的リアリズムが「公式の芸術」とされていきます。小説内では「テイラー・システム」(作品中に出てくる「テイラー」という言葉は、一か所だけ「テイラー展開」の意味で使われていますが、それ以外は生産システムとしての「テイラー・システム」を指しています)が繰り返し称賛されます(解説にレーニンの称賛演説が引用されています)。標準化され、規格化され、時間管理された世界こそが理想の世界とされるのです。

想像上のディストピアが現実のソ連と化していくプロセスを、我々はどのように見るべきでしょうか。「市場主義」と「グローバリズム」という「理想」がもたらした「荒廃した資本主義社会」は、既視感をもたらします。我々は新しい「ソ連」に再び到達したのではないか。