鉄鋼ビルディング建て替え!! ― 2011/06/30 05:13:42
鉄鋼ビルが建て替えになるとの報道があった。周辺の再開発が進み鉄鋼ビルだけが取り残されているような状態であったから、時間の問題であったのかもしれない。
2011/6/29日経新聞電子版より
鉄鋼ビルディング、東京駅前に高級賃貸住宅 外国人に照準2011/6/29 2:57鉄鋼ビルディング(東京・千代田)がJR東京駅前に保有する自社ビルを建て替える再開発計画の全容が明らかになった。中長期滞在者用の高級賃貸住宅「サービスアパートメント」を約120室設け、羽田・成田両空港行きのバスが発着する24時間営業のバスターミナルも開設する。来秋着工し、2015年春の完成を目指す。
場所は千代田区丸の内1丁目でJR東京駅八重洲北口のそば。既存の第一鉄鋼ビルディングと第二鉄鋼ビルディングを取り壊して再開発する。
新ビルは大小2棟。北側棟は地上25階建てでオフィスが入る。南側棟は13階建て程度でサービスアパートメントやバスターミナルで構成する。延べ床面積は約11万4000平方メートル。両棟は低層部でつながる。
建設費は未定だが、再開発の規模からみて400億~500億円前後とみられる。
サービスアパートメント120室の延べ床面積は約1万平方メートル。各部屋には台所や食器、家具などを完備し、高級ホテルに暮らす感覚で中長期の滞在ができる。1日からの利用も可能。複数の外国語に対応できる相談窓口も設ける予定だ。仕事で来日した外国人ビジネスマンや観光客らの利用を見込む。
運営会社は未定だが、ノウハウを持つ欧州、アジアなどの外資系企業や日本企業の数社と交渉を進めている。
東日本大震災後に訪日外国人は激減したが、羽田空港の国際化により中長期には増加傾向をたどるとみられる。一方、東京駅周辺のサービスアパートメントの数はまだ少ない。交通など利便性の高い立地から潜在需要は大きいとみている。
バスターミナルは1000平方メートル規模。羽田・成田両空港行きの直通バスの発着場と待合所を設ける。24時間営業で、羽田空港を経由して深夜や早朝に到着した外国人を受け入れる。
航空機の運航状況を知らせる電光表示板や外貨両替所、カフェなども設ける。羽田空港側と連携して運営する考え。
現在のバス乗り場は近くの道路沿いにあるが、小さな屋根がある程度で場所も分かりづらい。訪日客の増加に伴うバス増便もにらみ、玄関機能を強化する。
ビルにはこのほか、国際電話会議が可能な貸会議室やインターネットコーナーのほか、シャワー室やラウンジ、フィットネス施設なども設ける。24時間にわたり様々なビジネス需要に応える。
計画は7月に開かれる東京都都市計画審議会での審議と決定を経て動き出す見通しだ。
出典:鉄鋼ビルディング、東京駅前に高級賃貸住宅 外国人に照準
丸の内とは比ぶべくもないが、呉服橋周辺のオフィス街も優良なオフィスビルの並ぶ面白い一画だったと思う。とくに鉄鋼ビルは手入れが非常によくされていて、気持ちがよかった。こうして「ずっと大事に使われていくんだ」とかってに思っていた。オフィスビルの宿命とはいえ寂しい限りである。ファサードだけでも形を残すとか、手入れの良い内装を再利用するとかしてくれると嬉しい。
葛西万司「旧盛岡貯蓄銀行(盛岡信用金庫本店)」(1929年) ― 2009/10/18 04:43:34
2009年10月10日撮影
旧盛岡貯蓄銀行(盛岡信用金庫本店)
設計:葛西万司(辰野金吾の後輩で共同事務所を経営していた人)
岩手県盛岡市中ノ橋通一丁目4番6号
竣工:昭和2年(1927年)
旧盛岡銀行の角を曲がるとすぐに、旧盛岡貯蓄銀行(現在、盛岡信用金庫本店)を見ることができます。昭和52年に盛岡市保存建築物指定をうけるながら、)現在も盛岡信用金庫の本店として利用されています。
辰野の後輩の葛西の設計です。列柱が特徴のネオ古典様式でしょうか。昭和初期の金融機関建築をよく現しています。
以下「盛岡信用金庫本店建物」説明文から。
「昭和52年12月、盛岡市の保存建造物に指定されています。
この建造物は、昭和2(1929)年に盛岡貯蓄銀行の店舗として完成、その後、昭和33(1958)年に<もりしん(盛岡信用金庫)>が譲り受け本店としたものです。
設計は岩手県出身の葛西萬司。建物の主体構造は、鉄筋コンクリート造り。外観は、石堀で飾られた花崗岩の壁面と正面にとっしりと立ち並ぶ6本の列柱。内部は1階の営業室などに照明器具、柱の装飾、2階各部屋の扉と上部に埋め込まれたカラフルなステンドグラス、柱、天井の石膏レリーフ模様などの装飾には、大正時代の近代デザインの影響がうかがえます。」
【参考サイト】
盛岡信用組合トップページ
ウエブもりおかホーム>まちづくり>もりおかの環境>盛岡市の保存建造物
辰野金吾・葛西万司「旧盛岡銀行本店」 ― 2009/10/13 04:55:17
2009年10月10日撮影
旧盛岡銀行本店(現岩手銀行中ノ橋支店)
設計:辰野金吾・葛西万司
岩手県盛岡市中ノ橋通一丁目2番20号
竣工:明治44年(1911年)4月
盛岡市中の橋の西側に旧盛岡銀行本店があります。平成6年(1994年)国の重要文化財に指定をうけるながら、)現在も岩手銀行の中ノ橋支店として利用されています。
一見して、レンガ造りが「東京駅みたい」なわけですが、その通り、辰野金吾と葛西万司の設計です。
以下説明文から。
「この建物は、旧盛岡銀行として明治四十四年四月に竣工しました。設計者は日本銀行本店、東京駅などを手掛けた明治洋風建築界の権威、辰野金吾博士と盛岡出身の葛西萬司工学士の両氏のてによるもので「赤レンガ」の愛称で親しまれています。
構造等は、一部三階建てとなっておりその床面積は千二十平方メートルに達し煉瓦組積造のルネサンス様式で統一されております。外部は白色花崗岩によりバンドを巡らして横線強調し採光用のドーマー窓とドーム屋根を組合せて、凹凸の多平面計画で建物に陰影をつける等、同様式の特徴を顕著に現しております。特に内部は一、二階の吹き抜けや木製の飾り柱のコリント様式柱頭、天井は石膏くり型、各室入口枠の彫刻など意匠に富みクラシカルな雰囲気を作り出しております。
建築当時の姿を完全な形で伝え、且つ現在も創建当初の目的でしようされている建物の重要文化財指定は、全国でも最初のものであります。」
岩手銀行トップページ
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【参考文献】
旧東京東京国際郵便局 ― 2009/08/14 02:04:26
旧東京東京国際郵便局
千代田区大手町2-3-3
1968年竣工
こちらも再開発の決まっている旧郵政のビルです。業務は2005年に江東区新砂に移転し、跡地は再開発となるようです。隣接していた建物(東京郵政局(?)は既に取り壊されており、この写真は、建物の裏側になるようです。
東京中央郵便局が変な盛りあがりを見せたのに対して、こちらは静かなまま姿を消してゆくことになるようですね。
ひさし付きの典型的な郵政スタイルです。冷房の少なかった時代にひさしには実用的な意味が大きかったのでしょう。実用性優先のデザインですが、角に丸みがあったりして、懐かしさを感じさせます。
かつてのこの一角は郵政庁舎が集積していたようです(逓信博物館だけのこってます)。
日建設計/林昌二「パレスサイドビルディング」 ― 2009/05/27 01:13:00
2009年5月26日撮影
パレスサイドビルディング
設計:日建設計/林昌二
千代田区一ツ橋1-1-1
1966年
地下鉄東西線竹橋駅の真上で、毎日新聞社の本社ビルです。大きな円筒形が特徴で、ランドマークとなっています。かなり横長のビルですが、大きな窓と庇により横線がさらに強調されています。足場の様にも見える庇ですが、縦は雨どい、横は斜めになった細い板が並んでいます。
竣工1966年ですから40年以上経過していますが、モダンデザインの鮮烈さを今も感じることができます。
完全に現役のビルとして活躍していて嬉しいですね。
【参考文献】倉方俊輔、斉藤理「東京建築ガイドマップ」エクスナレッジ、2007年
前川國男「日本相互銀行本店」(その8) ― 2009/05/26 03:32:58
撮影:2009年6月25日
久しぶりに日本橋に行ったので、「日本相互銀行本店」跡地を見てきました。すでに八重洲龍名館の新館は完成しています。ところが、驚いたことに「日本相互銀行本店」の方は未だに解体中です。新たな建築を建てるという表示も見当たりません。このまま更地にしてしまうのでしょうか?謎だ?
神田猿楽町々會詰所 ― 2009/05/15 06:06:30
撮影:2009年5月14日
神田猿楽町々會詰所
設計・施工:不祥
神田猿楽町2-3
竣工年:不祥
住所は神田猿楽町2-3あたりでしょうか。ちょっと古風な建物を見つけました。
どの様な由来の建物かよく判りませんが、神田界隈の懐かしい街並みにマッチしてよいですね。見た目からすると、交番だったんでしょうか?
現在は「神田猿楽町々會詰所」となっていて、千代田区「景観まちづくり需要物件」とされているようです。
景観まちづくり重要物件 お茶の水・駿河台界隈
現在は、「神田猿楽町々會詰所」として利用がされているようですから、メンテをしっかり実施して、保存を続けていただきたいと思います。
この日は、工事現場の足場に囲まれてちょっと可哀そうな姿でした。
三菱地所「大手町ビル」 ― 2008/06/21 23:59:59
2008年6月6日撮影
大手町ビル
設計監理:三菱地所
施工:大成建設
千代田区大手町1-6-1
1958年
大手町の讀賣新聞社,、産経新聞社の隣、本郷通りから外堀通りまでの1ブロックを使った長大なビルです。外見は、淡々とした表情ですが、横線が強調され、いかにもオフィスビルといった面持ちです。
今年で、竣工からちょうど50年ということで、本郷通り側のウインドウには、起工、工事中、竣工当時の写真が掲示されており、当時の大プロジェクト振りがうかがえます。実際、大成建設のサイト、『大成建設の歩み』によれば「当時、丸ビルを抜いて東洋一の延床面積を持つ日本最大のマンモスビルとなる。地下3階、地上9階、塔屋3階、鉄筋コンクリート造り、延111,273平方メートルの巨大な外観が人々を圧倒した。」とあります。
写真右は、外堀通り沿いの入口から本郷通り沿いの入口を見たものですが、本郷通り側の入口はよく見えません。
メンテナンスも良くされ、現役のオフィスビルです。周辺は再開発ラッシュですが、独特の存在感の持ったこのビルが生かされて欲しいものです。
【参考サイト】三菱地所「大手町ビル」
『大成建設の歩み』14. 開かれた日本へ、世界へ 〜復興の完了と国際化への基盤づくりを推進する事業〜
【参考文献】
倉方俊輔、斉藤理「東京建築ガイドマップ」エクスナレッジ、2007年
増岡組/池田建築事務所「第一鉄鋼ビル」 ― 2008/05/03 17:14:30
2008年4月12日撮影
第一鉄鋼ビルディング
増岡組/池田建築事務所
千代田区丸の内1-8-2
1951年(1958年、1970年増築)
東京駅八重洲口を出て、外堀通を左へ(呉服橋方面)へ歩くとすぐに長大なビルディングが現れます。第一・第二鉄鋼ビルです。
外堀通は、外堀を戦災の瓦礫で埋めたもの。ビル建設当時の八重洲口は、殆ど何も無かったのではないでしょうか。そこに、当時としては高層巨大な建築が建てられたのですから、非常に存在感が高かったと思います。
目だった装飾などは無く、淡々とした窓の並びや正面玄関は古典的な趣が感じられます。中に入ると(店舗がビル内にあるので誰でも入れます)、気持ち良い程丁寧にメンテナンスされていることがわかります。竣工以来50年以上経っていますが、貸オフィスビルとして、現役です。立地も良いので、人気物件なのではないでしょうか。
最近の再開発で周囲を高層ビルに取り囲まれて、中層の鉄鋼ビルがちょっと窮屈そうに見えますが、頑張って欲しいですね。
参考サイトには、ビル建設当時の写真が掲載されており、往時が偲ばれます。
【参考サイト】株式会社鉄鋼ビルディング
【参考文献】
倉方俊輔、斉藤理「東京建築ガイドマップ」エクスナレッジ、2007年
安井武雄「野村證券本店(日本橋野村ビル)」 ― 2008/04/26 18:27:57
2008年4月12日撮影
野村證券本店(日本橋野村ビル)
設計:安井武雄
中央区日本橋1-9-1
1930年
「日本橋」の際に建つ野村證券の本店ビル。もともと野村は大阪が本拠地で、「日本橋野村ビル」は東京進出のシンボルとされていたそうです。
設計の安井武雄(1884-1955)も大阪を中心に活躍した建築家です。本ビル設計以前にも、関西で野村のビルを幾つか手がけています。個性的な作風で知られ、当ビルも代表作の一つです。
茶色と白のコントラスト、直線と曲線の組み合わせが、独特の感覚を生んでいます。とても奥に細長い建物ですが、建物後部は増築されたものです。増築の違和感はありません。
写真にはあまりうまく入りませんでしたが、屋上の塔も特徴的です。
バリバリの現役本社ビルであり、日本橋の景観の一部でもあります。ですから、再開発からは、当分は安泰でしょう。
【参考サイト】安井建築設計事務所
【参考文献】
倉片俊輔、斉藤理(監修・執筆)「東京建築ガイドマップ-明治 大正 昭和」エクスナレッジ(2007年)
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