アンドレ・ジイド「ソヴェト旅行記」 ― 2009/03/07 01:34:52
アンドレ・ジイド「ソヴェト旅行記」岩波文庫(1937年)
フランスの文学者アンドレ・ジイドが1936年にソヴェト訪問を記録した旅行記。ソヴェトに対する批判的内容が非常なセンセーションを起こしました。当時の知識人にとって、ソヴェトの実態の暴露は容易に受け容れることは難しかったようです。本書後書によれば、1937年本書の一部が中央公論に掲載され、宮本百合子が文芸春秋に「ジイドとそのソヴェト旅行記」(青空文庫で「ジイドとそのソヴェト旅行記」に収録されています)を寄稿し反論しています。その年のうちに、全文の翻訳が一度他の出版社で出版された後絶版、岩波文庫化されたそうです。
1936年当時のソヴェトは、既にスターリンが権力を完全に掌握し、「大粛清」下にありました。諸説ありますが、処刑者だけでも100万人と言われています。もちろん、客人たるジイドが案内されたのは模範的な都市や工場、農場だけであり、そのような事実を直接的に知ることはなかったでしょう。そのような事実を知った今となっては、ジイドによる批判も甘いものだとも言えます。しかし、ソヴェトに対する本質的な批判は、既に本書に尽くされているのではないでしょうか。長いですが目についた記述を引用します。
「夏中、すべての人々はみな真白な服装をしている。だから誰も彼もみなそっくり似かよってみえる。と同じく、モスコーの街ほど社会的な均衡化、すなわち各人が同等の需要をもっている、階級のなくなった社会を雄弁に物語るものはなからう。いささか大仰な云い方かも知れぬが、大して過言ではないと思ふ。異常な画一といふか一致といふか、そんなものが民衆の服装にまで現われてゐる。と同様に、若しも人々の精神を見透すことが出来れば、そこにもひとしく画一的なものが潜んでゐるのぢやないかと、ふと考へさせられたほどである。」
「私はこの非常に裕福なコルホーズの多くの住宅を訪れた。……これらの住宅の「内部」で、私がしみじみと感じたあの異様な、物悲しい印象を、どう云い現したらいいだらう。それは、謂わば完全な非個性化(デペルソナリザシヨン)といった感じのものである。どの家の中にも、同じやうに見苦しい家具、同じやうにスターリンの肖像があるが、その代り他のものは完全に何もないのだ。小さな飾り道具一つなく、ほんの僅かな個人的記念品(スーヴニール)もない。各自の住宅は互ひに取換へることができる。だからコルホーズの人々―すでに彼ら自身がお互ひに交換できさうにみえるが―は自分でそれと気づかずに一つの家から他の家へ引越しも出来ようといふものだ。」
「ソヴェト於ては、何事たるを問はずすべのことに、一定の意見しかもてないといふことは、前もって、しかも断乎として認められてゐるのである。だが、人々はみな、非常によく訓練された精神の持主となってゐるので、かうした画一主義(コンフォルミズム)も、彼らには容易な、自然な、一向に平気なものとすらなってゐる。そこに偽善があらうなどとは考へられないほどに。」
「毎朝、プラウダ紙は、彼らが知り、考へ、信ずるに相応しいことを彼らに教へてゐる。そしてその教への範囲から外にでることは危いことなのだ!だから、一人のロシア人と話してゐても、まるでロシア人全体と話してゐるやうな気がする。これは各人が一つの合言葉に文字どほり服従してゐるからではなく、一切が各人を類似させるやうに手入れされてゐるからだ。しかもこのやうな精神の訓練は、ずっと幼ない子供の時代からはじめられるのである。」
「われわれは、ソヴェトに於ける教育、文化にたいする異常な躍進に賛美の眼を瞠る。しかし、この教育は、精神をして現在の状態を祝福せしめ、≪おおソヴェトよ!幸いあれ、唯一の希望よ!Ave! Spes unica!≫と考へさせることの出来るものについてしか教へないのである。また、その文化も、教育と同じ方向にむけられてゐる。それは無私公平なものではない。それはあらゆるものを積み重ねる。そして批評精神は(マルキシズムにも拘はらず)殆ど完全に喪失してゐる。」
(ゴーゴリの手紙からの引用して)「≪われわれの多くは、ことに青年たちの間では、ロシアの美徳なるものを過度に称揚する。これらの美徳を彼ら自身のうちに育てるかはりに、彼らはそれを仰々しく飾りたてて全欧州にむかって叫ぶのだ。「どうだ、異国人たちよ、われわれは諸君より秀れてゐるだらう!」と。―かうした高慢はひどく有害なものである。何故なら、それは他人を焦立たせるばかりでなく、美徳を云々する者自身を害ふものだから。まったく、高慢癖は、もっとも美はしい行為をすら涜すものである。……私はかうした自己満足よりも、まだしも一時的な落胆の方をとるものだ。≫ゴーゴリが慨嘆してゐるこのロシア人の高慢癖を、今日、ソヴェトの教育は発展させ、且つ鼓舞してゐるのである。」
「≪恵まれた者の側≫にある人々が、或はその側にあると思ってゐる人々が、≪恵まれない人々≫例へば召使ひや人足や≪日雇ひ≫の男女労働者、つまり貧しい人々にたいして示してゐるあの侮蔑にたいして、或は少くとも無関心にたいして、われわれはどうして心を傷つけられないでゐられようか。」(☆)
「私は惟ふ。今日如何なる国においても、たとへヒットラーの独逸においてすら、人間の精神がこのやうにまで不自由で、このやうにまで圧迫され、恐怖に脅えて、従属させられてゐる国があるだらうかと。」
「スターリンの肖像が到る処にみられる。彼の名は誰かれと云はずすべてのひとびとの口にのぼる。彼を賛美する言葉は、必らずすべての演説のうちにきかれる。わけても、ジョールヂャでは、どんなに惨めな、むさくるしい部屋に足をふみいれても、そこに人間がすんでゐるかぎり、きっとスターリンの肖像が壁にかかってゐるのが見うけられた。恐らく、かつては聖像(イコーン)が安置されてゐたところに。賛美か愛情か、それとも恐怖か、私にはよく判らない。いづれにしても、スターリンの姿は至るところに現はれてくる。」
「ソヴェトには、まだもう一つの恐怖がある。それは向こうで≪反革命の精神≫と呼ばれてゐる≪トロツキイズム≫にたいする恐怖である。何故なら或る一部の者は、さつき云ったやうな譲歩を必要となすことを拒絶するからである。また、これらすべての順応をもって敗北と考へるからである。もちろん、最初の方針からの逸脱は、さまざまな説明や弁解を見出すことであらう。それは考へられる。だが、それらの或る種の人々の眼には、この逸脱の事実が最も重大なものとうつるのである。」
「しかるに、今日ソヴェトで強要されてゐるものは、服従の精神であり、順応主義(コンフォルイズム)である。したがって現在の情勢に満足の意を表しないものは、みなトロツキストとみなされるのである。われわれはこんなことを想像してみる。―たとへレーニンでも、今日ソヴェトに生きかへってきたら、どんなに取扱はれるだらうかと。」
長々と色々引用しましたが、本書におけるジイドの批判は、かつてある時代に存在したソヴェトという国についての批判に限られたものではないと思います。あらゆる時代のあらゆる国におこりえる「批評精神」の欠如に対する批判として現在も意味を有しています。例えば(☆)の部分は、まるで現在の日本のある風潮をあらわしているようです。
「ソヴェト」は決して終わっていません。今ここに、我々の中に「ソヴェト」は存在します。
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