Google
 

山内昌之「イスラムとロシア-その後のスルタンガリエフ」2007/05/26 04:26:52


山内昌之「イスラムとロシア-その後のスルタンガリエフ」東京大学出版会(1995年)

ミールサイド・ハイダルガリエヴィッチ・スルタンガリエフ(1892-1940)は、ムスリム・タタール人の革命家です。1917年ボリシェヴィキ(ロシア社会民主労働党、後のソ連共産党)に入党し、ムスリム党員としては党内最高位に上り詰めましたが、スターリンと対立、弾圧を受けた後粛清されました。

スルタンガリエフは、主にロシア人が主導権を握った汎ロシア主義・大ロシア主義の共産主義思想に対し、タタール人を含むチュルク系諸民族にとっての共産主義思想を構想し、ロシアに従属する自治共和国ではなく、ロシア等ソ連構成国家と対等な関係にあるチュルク系諸民族による国家の構想を抱いていました。また、多くの民族が混在する地域で領土的な自治を行えば、必然的に民族的少数派が生まれ矛盾を生ずることから、民族毎の文化的な自治(居住地に関係なく民族として自治権を有する)も構想していました。

スルタンガリエフの思想は、スターリンにより、「スルタンガリエフ主義」というブルジョア的民族主義として断罪されてしまいます。しかし、反帝国主義の観点からイスラームの価値を評価し、欧米とは異なる革命のあり方を標榜したスルタンガリエフの思想は、その後第三世界で生まれる非欧米的革命思想の先駆けでした。また、ソ連崩壊後のロシアとムスリムとの民族問題を予見し、その解決の方向を示唆する思想でもあります。

現在の中央アジアは、石油等の資源国として注目される一方で、政治的不安定が続き、欧米、ロシア、中国などの政治的・軍事的覇権に曝されています。これら地域の自立と安定を考える上でも、スルタンガリエフの思想は広く知られるに値するのではないでしょうか。