立山良司「エルサレム」 ― 2007/07/01 02:24:16
立山良司「エルサレム」新潮選書(1993年)
ネット古書店で購入した本ですが、現在でも入手可能です。
本書は、歴史的背景を考慮しつつ、現代のエルサレムの現状を、様々な角度から捉えています。
イスラエル建国とアラブの反発、数度にわたる中東戦争とイスラエルによるエルサレム支配の既成事実化の詳細。例えば、映像などで良く知られる嘆きの壁の前の広場は、パレスチナ人の住居を家具を運び出す間も与えず破壊し、650人のパレスチナ人を住居から追放されて作られたものであること等を知らされます(イスラエル側の言い分は、汚らしいスラム街を破壊しただけで保障も行ったというもの)。
一方、パレスチナ人の現状では、イスラエル国籍を持つパレスチナ人とヨルダン国籍のパレスチナ人との間に生じている溝、キリスト教の現状では、聖地の権益を巡る各宗派間の争いなど、あまり知られていない多くの事実を教えてくれます。
最後に、ユダヤ人の現状でも、宗教派と世俗派の対立、原理的なユダヤ教徒の中にも、一方では、エルサレムの完全ユダヤ化を標榜する一派もあれば、現実のイスラエルは人間の作ったもので、聖書の教える神により作られたイスラエルではないとして、イスラエルの存在を否定する一派もあります。
三大一神教の聖地として、様々な利害が対立している現状には、暗澹たるものがありますが、解決の方法には、イスラエルとパレスチナの対話以外にありえない事が最後に語られます。
出版からやや時間は経っていますが、エルサレムの現状を知るためには必読の一冊だと思います。
設計者不詳「旧川崎貯蓄銀行富沢町支店」 ― 2007/07/08 04:43:59
旧川崎貯蓄銀行富沢町支店(ハリオグラス本社ビル)
設計者不詳
中央区日本橋富沢町9-3
1932年
(2007年7月7日撮影)
人形町と小伝馬町の中間あたりを、東日本橋方向へ2ブロック奥まったところにあるビルです。コリント式というらしいのですが、いかにも昔の「銀行」って感じですね。ただし、3階部分は後で増築されたような感じです。
旧川崎貯蓄銀行富沢町支店→旧常陽銀行東京支店→旧常陽銀行堀留支店という銀行ビルを、ハリオグラスという会社が「創業80周年記念事業」として2000年に買い取って本社ビルとしたそうです。綺麗にメンテナンスされて使われています。
2003年には、登録有形文化財として文化庁より「貴重な国民的財産」に認定されたそうです(登録番号13-0148)。
「こんなビルを買い取って本社にするなんざぁ、粋な会社があったもんだ。」製品も買いたくなりますね。
【参考サイト】ハリオグラス株式会社のサイト
安藤組「旧相互無尽会社」 ― 2007/07/15 23:00:00
旧相互無尽会社
安藤組
千代田区神田神保町2-19
(2007年7月7日撮影)
神田神保町のチョッと裏通り、三井住友銀行千代田営業部の向かいにあるビルです。
確実な資料が手元にあるわけでないのですが、色々なサイトを検索していって把握した情報です(だから間違いがあるかもしれません)。
1930年(昭和5年)1929年(昭和4年)建築ですから、今までに紹介してきた、三信ビル(1929年)、電通銀座ビル(1934年)、旧川崎貯蓄銀行富沢町支店(1932年)、(そして多分、三野村合名会社も)と同じ頃に建てられた建物です。元々の金の掛け方が違うというのもありそうですが、それにしてもメンテナンスが悪くてかわいそうですね。出入り口を潰した様な痕も見えます。
しばらく前までは、消費者ローンの自働機がおかれていたそうですが、現在は使われていない様子でした。外見はやや地味ですが、綺麗にリノベーションすれば、味のあるオフィスや店舗になると思うのですが。誰か奇特な人はいませんか?
ところで、「相互無尽会社」というのは、戦前に設立された(設立年がわからない)無尽会社で、戦後に第一相互銀行に転換、さらに太平洋銀行に転換。バブル時の不良債権で業績が悪化し、わかしお銀行を受け皿会社にして破綻。で、わかしお銀行は三井住友銀行と合併(存続会社はわかしお銀行)して、わかしお銀行本店は千代田営業部に。
銀行というのは、本店とかを建てるときには立派なビルを建てますが(やたら威圧的な外観が多い)、旧くなると冷淡な扱いをすることが多いような気がします。建築により権威を見せ付けることには感心があっても、文化的な感心は無いということでしょうか。
###### ご指摘を受けて竣工年代を1935年から1934年に修正しました。
### ありがとうございました。
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岡田信一郎「博報堂旧本社」 ― 2007/07/16 04:12:43
博報堂旧本社
岡田信一郎
千代田区神田錦町3-22
1930年
(2007年7月7日撮影)
電通を扱ったので博報堂もって訳ではありませんが、塔屋が特徴的な古典的なデザインのビルです。電通銀座ビル(1934年)が機能的ななデザインなのと対照的で面白いですね。建物左側は、戦後に増築したそうです。左側側面は全く違うデザインになっています。
岡田信一郎は、大阪中央公会堂(1917年;重要文化財)、歌舞伎座(1924年、戦後吉田五十八が復旧)、明治生命館(1934年;重要文化財)、鳩山一郎邸(1924年)などの設計で知られています。
写真じゃよく見えないのですが、全面に剥落対策と思われる網が被せてありました。メンテナンスにコストがかかるのは旧いビルの宿命ですね。取壊して建て替えなんてならなければいいんですが。
徳永庸「山梨中央銀行東京支店」 ― 2007/07/21 05:24:10
山梨中央銀行東京支店
徳永庸
千代田区鍛冶町1-6-10
1931年
(2007年7月7日撮影)
神田駅と新日本橋駅の中間辺りにあります。あまり装飾はありませんが、いかにも戦前の銀行建築です。千代田区の景観まちづくり重要物件に指定(第34号;2003年)されています。
徳永庸は、「第一徴兵保険会社本社(銀座東邦生命ビル)(1931年)」が有名でしたが、こちらは2003年に解体され、もう現存しません。
現役の支店として良くメンテナンスされているようです。バブルに踊らず不良債権を発生させなかった堅実な銀行だそうですから、この建築も建て替えなどせず末永く、利用されることを願います。
前川國男「日本相互銀行本店」 (その2) ― 2007/07/28 02:50:53
日本相互銀行本店
前川國男
中央区八重洲1-3-3
1952年
(2007年7月25日撮影)
いよいよ解体が始まってしまいました。下部にはパネルが張られ、ビル全体にはネットが被せられています。背中合わせの「八重洲龍名館ビル」の方が先に解体されているようです(八重洲龍名館ビルも前川事務所の設計だそうです)。
山内昌之「神軍 緑軍 赤軍」 ― 2007/07/29 03:25:01
山内昌之「神軍 緑軍 赤軍」ちくま学芸文庫(1996年)
現在品切れ、古書店で入手しました。
トルコ、カフカース、中央アジアのムスリム・ナショナリズムとボリシェヴィズムの関係を論述した、かなりアカデミックな内容の本です。
一見すると、無神論のボリシェヴィズムとムスリムは単なる対立関係にある思われますが、実際は相互の思惑により複雑に入り組んだ関係を成していました。ロシア革命は、ロシア内外のムスリム・ナショナリストにとっては、独立への好機であり、ボリシェヴィキはヨーロッパ帝国主義に抗する同盟者とも思われていました。一方、ロシア・ボリシェヴィキにとっての東方のムスリム世界は、革命を広める対象であり、かつ帝政ロシア以来の殖民地支配の対象でもありました。
ちなみに、「神軍」とは、ナクシュバンディー教団(有力なスーフィー教団の一つ)の影響を受けたバハー・ウッディーン・ヴァイスィーが、カザンで1862年に開いた教団のこと。ロシア・ツァーリ支配に対抗すると同時に、既存のイスラーム権威がロシア・ツァーリに屈服し支配を受け入れたとして攻撃しました。しかし、ロシア革命に際しては、ボリシェヴィキと同盟関係を結びます。
次に「緑軍」とは、1920年アンカラで設立された政治秘密結社のこと(軍隊ではない)。「緑軍」の理念はイスラーム社会主義ですが、ボリシェヴィキとの連携を図り、コミンテルンへの加盟も申請します。
そして「赤軍」とは、ムスリム・ボリシェヴィキのスルタンガリエフの構想した「ムスリム赤軍」のこと。スルタンガリエフは、ロシアを中心としたヨーロッパ人赤軍とは独立した、ムスリムによる赤軍をイスラーム地域における革命の中核として構想していました。
当初は接近・協力から始まったムスリム・ナショナリズムとロシア・ボリシェヴィズムですが、やがて相互の思惑の違いが明らかになり、離反・対立へと変化していきます。ソ連邦の構成国となったイスラーム諸国は、この矛盾を内部に抱え続けていき、ソ連邦の崩壊後には、再び政治的不安定要素として浮かび上がってきます。
文庫本とはいえ、学術的な著書であり、決して読み易くはありませんが、イスラームとロシアの関係を知る上で欠かせぬ著書に間違いありません。
【復刊ドットコム復刊リクエストページ】山内昌之「神軍 緑軍 赤軍」ちくま学芸文庫
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