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内藤正典「ヨーロッパとイスラーム-共生は可能か-」2008/05/10 15:32:54


内藤正典「ヨーロッパとイスラーム-共生は可能か-」岩波新書(2004年)

本書は、ヨーロッパにおける国ごとの政策・環境の違いを明にしながら、ムスリム移民と受入国の摩擦を、解き明かし、共生の可能性を論じています。

ヨーロッパでのムスリム移民のおかれている状況は、受入国により様々に異なります。ドイツ、オランダ、フランスを3つの異なる事例として解説しています。

ドイツは、かつてトルコからの労働者を大量に受け入れた経緯から、トルコ系を中心としたムスリム移民を多く抱えています。ドイツでは、歴史的に国民の定義として血統を重視してきました。また、他のヨーロッパ諸国ほど聖俗分離が明確でなく、キリスト教の社会・文化への影響力もその分強さがあります。そのため、ムスリム移民はドイツ人の社会には溶け込めず、独自のコミュニティを形成して暮らすようになりました。反移民感情とその結果としての独自コミュニティの形成が、さらに反移民感情を増幅する結果となっています。

オランダは、文化的多元主義の伝統があり、それぞれが、文化的・宗教的コミュニティを形成しつつ、互いに尊重しあい国民として統合するという「寛容」精神を有していました。ムスリム移民も新たな文化的コミュニティとして、一定の社会的地位を築いています。しかし、近年ムスリムコミュニティの力が突出するようになり、摩擦が発生してきました。

フランスは、その厳格な聖俗分離政策「ライシテ」から、公共的な場からは一切の宗教的な影響を排除してきました。これは、フランスの民主主義の歴史が、カトリック教会の影響力を排除する歴史であったためです。この結果、日本でも報道されたように、学校でのスカーフ着用の禁止がなされ、ムスリムと深刻な対立をうんでいます。

以上のように同じヨーロッパの3カ国でも、ムスリムの置かれている状況が異なるのですが、何れも既存社会とムスリムの間に深刻な亀裂がもたらされています。濃淡の違いはあれ、聖俗分離が前提とされているヨーロッパ人から見ると、ムスリムは聖俗の分離ができていないとみなされます。一方、ムスリムにとっては、イスラームという宗教自体に聖俗分離の概念が無く、ヨーロッパ人からの聖俗分離の要求は理不尽な要求としか受け取れません。

このように、ヨーロッパとイスラームの共生は非常に困難です。聖俗分離を巡る双方の本質的立場の違いを、互いに理解しあうこと以外に共生への道はないと考えられます。