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ノイズリダクション2007/03/24 08:32:16

 遅ればせながら、iPodを購入したのですが、地下鉄通勤なので、通勤途中は騒音でほとんど聞こえない状態でした。
 そこで、ノイズリダクション機能付のヘッドホンを購入してみたのですが、予想以上に快適です。
 もちろん騒音が全く聞こえないわけではありませんが、比較的静かな音楽を聴くのにも支障なくなります。
 ノイズリダクションヘッドホンは、地下鉄通勤の方にお勧めですね。

 ところで、ノイズリダクションは低音を主にカットしているので、音楽なしで、ヘッドホンだけをつけていると、チョッと面白い現象が起こります。
地下鉄内では、モーター音等が小さくなるので、車内放送はむしろ鮮明に聞こえる感じです。また、新聞を折り返す音やつり革の軋む音など高音の音が良く聞こえます。
 さらに、連絡通路を歩いているときには、ハイヒールの女性の足音だけがやけに鮮明に聞こえます。

 チョッとだけ奇妙な気分が味わえます。

岩村忍「アフガニスタン紀行」2007/03/25 04:03:01


古書店で見つけた本の感想です。

岩村忍「アフガニスタン紀行」朝日文庫(1992年)

オリジナルは、1955年10月に朝日新聞社より出版されています。

謎の民族「モゴール」の調査を主な目的とした、1954年アフガニスタン8000キロ踏査の記録です。

1903年にモンゴル語を話すモゴール族の存在が報告されていましたが、その後は居住地すら確認されず、いわば幻の民族となっていたモゴール族を求めて、1954年3月、著者はアフガニスタンの首都カーブル(現在は「カブール」と表記されるが、本書では「カーブル」と表記されています。「カーブル」の方が現地の発音に近いそうです)に入ります。

若いアメリカ人研究者、通訳とともに4月末に出発し、5月21日、ヘラート近郊で、モゴール族を発見し、さらにその後、カーブルに近いバグラーンにもモゴール族が居住していることを知り、主要な目的を達成して、6月中旬カーブルに戻ります。

さらに、7月には、ハザーラジャートへ。主に豪族の家に滞在して、中世的社会の残存するハザーラ族の社会を調査します。

結局、モゴールやハザールの起源は謎のままなのですが、本書の魅力は、旅の行程自体にあります。美しいが厳しい自然に曝されながらのジープの旅。チャイ・ハーナで味わう茶の味。モンゴルに破壊された町の遺跡。故障した著者達のジープを1日かかって修理してくれる路線バスの運転手と、文句も言わず待ち続けるバスの乗客達。特に、ヒンズークシ山中ハザーラジャートの中世さながらの社会は印象深いものです。

その後のアフガニスタンは現在に至るまで、戦乱が続いていますが、そうした戦乱前のアフガニスタンの状況を知る上でも貴重な記録であり、知的な紀行文学としても楽しめます。現在は品切れ、入手不可能なようですが、復刊される価値のある著書だと思います。

なお、この調査は翌1955年に行われる京都大学学術探検隊の先遣として行われたもので、本隊調査、特に「モゴール族」調査の成果は、梅棹忠夫「モゴール族探検記」岩波新書(1956年)(こちらは現在も入手可能です)で詳しく知ることができます。

ところで、著者の調査に色々な便宜を図ってくれるのは、かつて日本への留学(戦争前から戦争中にかけて!!)を経験したアフガニスタン人達です。海外から留学生を受け入れることの重要さを再認識させられる逸話です。

【復刊ドットコム復刊リクエストページ】

岩村忍「アフガニスタン紀行」朝日文庫

di Lasso/Ockeghem(DVD)2007/03/26 01:01:31

音楽DVDの感想です。

Orlando di Lasso, "Lagrime di San Pietro", The Consort of Musicke.
Johannes Ockeghem, "Missa pro defuctis", The Hilliard Ensemble.
Silver Line Classics, 80014, Cascade GmbH

 高田馬場駅改札前の催し物売り場で税込み1,029円で買いました。通販などで20枚一組で売られている"Silverline Classics"の中の一枚「ディラッソ/オケヘム」ってのと同じものだと思われます。

 前半は"The Consort of Musicke"による"di Lasso"(ディ・ラッソあるいはラッスス)の"Lagrime di San Pietro"(聖ペテロの涙)。"Consort of Musicke"が、「中世をイメージした舞台衣装」みたいな格好をして教会で歌っているのですが、曲間にお兄さんのパントマイムが入ります(教会に迷い込んだら、音楽が聞こえてきて驚く、といった設定のようです)。

 後半が"The Hilliard Ensemble"による"Ockeghem"(オケゲム)の"Missa Pro Defunctis" (死者のためのミサ曲)。"Hilliard Ensemble"が教会の2階(?)で歌う(普通にスーツにネクタイ姿)のに合わせて、1階では、レオタード姿のお姉さん達(と美少女)が不思議なダンスを踊ってくれます。

 チョット不思議な映像ですが、発売元はドイツの"Cascade GmbH"。映像は、RTSIというスイスのイタリア語放送局の制作のもののようで、"Consort of Musicke"が1985年、"Hilliard Ensemble"が1990年と出ています。普通だったら、作者ゆかりの地の映像とか挟まると思うのですが、低予算でそれも無しだったって感じですね。それとも、プロデューサーやディレクターには前衛的な(?)意図があったのかな?

 特典に、パンフルートの演奏(音のみ、映像はボッティチェリの絵が固定)がついています。

 古楽のDVDなんて珍しいので話の種にどうでしょうか。

新村出「新編南蛮更紗」2007/03/27 02:03:52


新村出「新編南蛮更紗」講談社文芸文庫(1996年)

当時、すでに出版社在庫切れだったところを八重洲ブックセンターに在庫があって購入したものです。

「広辞苑」の編者として知られる著者ですが、キリシタン文学の研究者としても多くの業績を残しています。

本書は大正13年に発行され当時大変な人気となった「南蛮更紗」(現在は東洋文庫)と翌大正14年発行の「南蛮広記」から編集された、昭和28年創元社刊「新編南蛮更紗」の復刊です。

前半はキリシタンにかかわるエッセイ風なもの(主に「南蛮更紗」から)、後半は本格的な研究成果(「南蛮広記」から)を掲載しています。

やはり、気楽に読める前半が楽しめます。京都で発見されたキリシタン墓碑にまつわる話、京都の南蛮寺の在った場所についての推理、南蛮寺の鐘について等、もう80年も前の文章ではありますが、新鮮な興味を与えてくれます。

一方、後半はかなりアカデミックな内容で、気楽に読める訳ではありません。キリシタン版平家物語等のキリシタン文学が紹介されます。キリシタン文学の多くは日本語習得のための教材として編まれたものですが、広く題材をとっていることには驚かされます。

ところで、著者は、本書「南蛮録」の中で、芥川龍之介の「奉教人の死」について、(登場人物名の)「ロオランもあそこはロレンソと云うべき」と指摘しているのですが、芥川はこれを受けて、人物名を「ろおらん」から「ろおれんぞ」に修正したそうです。著者はそれほどまで権威ある存在だったのですね。

最初にも書いたとおり、本書は現在品切れですが、こういう古典を常に読めるようにするのが本来の文庫の役割なはずですが、現在の出版状況下ではやはり難しいのでしょうか(今や、岩波文庫でも、「これが?」と思うようなものが品切れになっていますからね)。

植木等さん死去2007/03/28 02:52:30

 植木等さんが亡くなりました。

 小学生低学年の頃、東宝で「怪獣映画とクレージーキャッツ映画の2本立て」というのがよくあったので、同世代の男性は小学生低学年ながら、リアルタイムでクレージーキャッツをよく見ていたのではないかと思います。

 PTAからは、怪獣映画はともかく、クレージーキャッツ映画の評判はかなり悪かったのですが(必ずお色気シーンとかあるし…)、我々小学生には、怪獣映画同様(もしかしたらそれ以上)の人気がありました。クレージーキャッツの映画を見ていないと友達との会話についていけなくなったものです。

 高校生のときに文化祭で、オリジナル劇の公演をしたのですが、劇中で「スーダラ節」の替え歌を歌いました。(これって、今思えば、著作権侵害ですね。ゴメンナサイ。)
 もう歌詞はうろ覚えですが、
 「ちょいと1年のつもりで浪人、いつの間にやら3浪目。気がつきゃ予備校の机で昼寝、コレじゃ成績に良い分けないよ。わかっちゃいるけど止められない。…」
 てな内容だったかな。

 残念ながら、iTunes Storeでは、
  クレイジーキャッツ&YUMING, "Still Crazy for You"
しか見つかりませんでしたが、

 次のURLに、「スーダラ節」のMIDIと歌詞を見つけました(著作権許諾済み)。
 http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/00_songs.html

 また、著作権的にはかなり怪しそうですが、
 http://www.youtube.com/watch?v=uLSuKkB20eI
ってのもありました。

 「スーダラ節」を聞きつつ、ご冥福をお祈りいたします。

芦田均「バルカン」2007/03/29 02:33:18


これまた、古書店で入手した、

芦田均「バルカン」岩波新書(1939年) (ただし、1992年の復刊版)

の感想です。現在出版社品切れ。

1939年(昭和14年)刊のバルカン諸国事情です。著者は元外交官で、当時衆院議員であった芦田均(後(1947年)の首相)です。

トルコ、ルーマニア、ギリシャ、ブルガリア、ユーゴスラビア、アルバニアの6カ国の自然、民族、政治、経済等を解説しています。

バルカン各国の外交・内政が、ファシズムの台頭するドイツ、イタリアを含めたヨーロッパ列強の政策に翻弄されていたこと、各国とも民主主義・議会政治が未成熟で不安定な独裁的政治体制が敷かれていたこと等、当時の情勢がよく理解できます。

また、1990年代の東欧の混乱時に、アルバニアからの難民がイタリアに押し寄せているというニュースを聞いて、「何故イタリアに?」と思ったものですが、当時イタリアがアルバニアに植民地的権益の拡大を図っていて、歴史的に関係の深いことも知りました。

さらに、結局ユーゴスラビアを分解させてしまう民族対立が、その建国時からの問題であったこと等、現在も尾を引くバルカンの民族問題が当時から既に大きな課題であったことが分かります。

本書は、芦田が任地の事情を深く理解した有能な外交官であったことを窺わせるものであり、また、現在のバルカン事情を理解するにも大いに役に立つ、非常に興味深い著作です。

PASMO2007/03/30 02:42:12

 手持ちの磁気通勤定期をPASMOに変更してみました。

 継続定期券の発行機で、デポジットの500円を支払って、簡単に変更できます。チャージは同時には出来ない様です(少なくともやり方が分からなかった)。PASMO定期券購入後、別途チャージしました。

 磁気定期券のように一々定期入れから取り出す必要がないので、やっぱり便利です。ただし、定期区間外ではまだ、一度も使ってないので、そっちの便利さは、実感できていませんが。

 ところで、最初はオートチャージにしようと思ったのですが、使えるクレジットカードが限定されているため、迷った末に断念しました。ただでさえ、クレジットカードだらけになっているのに、更に新しいクレジットカードに加入する気には、なれませんでした。
 どういう理由なのか不明ですが(純粋に技術的な理由とは思えないのですが?)、一般のクレジットカードが使用できないのは、利用者本位の姿勢とは言えないと思われます。

 それと、履歴照会のために「マイページ」を利用したいのですが、いつアクセスしても、「メンテナンスを行っております。現在使用することができません。」ってのは何故?いつも夜中にアクセスするのがいけないんでしょうかね?

 あとは、電子マネーとしての利用ですが、日頃の行動範囲の中では、使えるお店を未だ見つけられていません。昼食時とかに利用できると便利だと思うんですが…。ただそうすると、やはりオートチャージじゃないのが、不便になりそうです。

 プリペイド系、クレジット系も含めて、電子マネーに関しては、どれが使い易いのか、未だ決めかねる状況ですね。

立山良司「揺れるユダヤ人国家」2007/03/31 05:07:13


立山良司「揺れるユダヤ人国家-ポスト・シオニズム」文春新書(2000年)

の感想です。本書は現在も入手可能です。

イスラエルのユダヤ人と聞くと、一神教たるユダヤ教を深く信仰し、「約束の地、パレスチナ」をめぐっては、パレスチナ人と激しく対立を続ける、一致団結した人々といったイメージがあるのではないでしょうか。

しかし、実際のイスラエルは多様化が進み、むしろ分断されて混迷を深めていると言っても良い状態です。

分断の第一は、宗教的/世俗的の対立です。宗教への回帰(原理主義的とも言える)現象が現れる一方、世俗化、脱宗教化が進んでもいます。さらに、宗教的には「伝統的」と呼ばれる集団があります。

第二は、スファラディー・ミズラヒ(アジア・アフリカ系)とアシュケナジー(ヨーロッパ系)のエスニックな対立です。それらは、更にロシア系などのサブ・グループを形成し、より複雑な関係を成しています。

第三は、中東和平をめぐるイデオロギー的な対立です。占領地の返還に反対する大イスラエル主義と、占領地を返還して和平を達成を支持するグループに分かれています。

さらに、近年の経済発展により、経済的自己実現の場が提供される(非宗教化の傾向を強める)一方、格差の拡大(宗教回帰を促す傾向がある)も進んでいます。

また、ユダヤ系アメリカ人は、イスラエルの強力な支持母体ではありますが、イスラエルのユダヤ人との間には微妙なギャップが存在します(「ガラス越しのキス」)。アメリカのユダヤ人の方がよりイスラエルを無批判に支持する傾向があり(遠隔地ナショナリズム)、対パレスチナではより強硬な態度が支持されるます。しかし、現実的な対応を迫られ、和平に向けて多様な意見を戦わせているスラエルのユダヤ人にとって、アメリカのユダヤ支持は歓迎すべきことばかりではありません。アメリカのユダヤ人のフィルターを通して見ることの多い日本人としては、この点は、大いに注意べき事だと思います。

このように、決して一枚岩ではない現実のイスラエルのユダヤ人の姿を丁寧に解説する本書は、荒唐無稽な「ユダヤ人陰謀説」も含めた日本人のユダヤ人観を正すものであり、今後の中東和平を考える上でも重要な視点を提供しているものと思います。

臼杵陽「見えざるユダヤ人―イスラエルの〈東洋〉」 平凡社 (1998年) との併読をお薦めします。