前川國男「日本相互銀行本店」(その5) ― 2008/02/02 10:58:43

渡邊昌美「中世の奇蹟と幻想」 ― 2008/02/09 11:22:56
渡邊昌美「中世の奇蹟と幻想」岩波新書(1989年)
出版社品切れで前から探していたのですが、最近古書店で発見。
ヨーロッパ中世における奇蹟や聖者崇敬の話です。カトリックには現在でもルルドのように病気治癒の奇蹟を起こす巡礼地がありますが、中世においては、聖者崇敬と奇蹟が、雨後の筍のごとく発生していた様子を当事の奇蹟譚等を元に述べられています。
つまるところ、需要のあるところに供給あり、ということで、教会はともかく、民衆は現世御利益を求め、それに呼応して、聖者の遺物が発見され、奇蹟が発現する図式が、実に一般化していた様です。日常的に発生する奇蹟とは、語義矛盾ですが。
現世御利益を求めるのが当たり前の日本の宗教と異なり、一神教たるカトリックにあって、聖者崇敬は、多神教化をもたらしかねない事態であり、教会側も繰り返し、警告を発していたようですが、これはそれだけ民衆の間に聖者崇敬が根強かった証左でもあります。
教会側もチャッカリしたもので、民衆の支持を得て喜捨を集めるためなら、聖者や奇蹟譚をつくりあげたり(現在のように、バチカンが聖者の認定を厳格におこなうようになるのはもっと後のことです)、他の教会の聖遺物を盗んだりと、ある面やりたい放題です。
宗教改革と近代科学の成立によって奇蹟の時代は終わったかに思えますが、カトリックの巡礼は現在も盛んにおこなわれています。民衆にとって聖者崇敬、巡礼、奇蹟は、信仰に欠かせない要素であることが窺えます。
奇蹟譚がてんこ盛りで、その背景に関する議論に深みが及んでいない感はありますが、新書で気楽に手に取れる本書は貴重と言えるでしょう。
【復刊ドットコム復刊リクエストページ】渡邊昌美「中世の奇蹟と幻想」岩波新書
ファーティマ・メルニーシー(私市正年、ラトクリフ川政祥子訳)「イスラームと民主主義-近代性への怖れ」 ― 2008/02/23 10:40:54
ファーティマ・メルニーシー(私市正年、ラトクリフ川政祥子訳)「イスラームと民主主義-近代性への怖れ」平凡社(2000年)
著者ファーティマ・メルニーシーは、モロッコ出身の女性社会学者。イスラームと民主主義の関係にストレートに切り込んいます。
本書全体として「恐れと境界」という言葉をキーワードに、現代イスラーム社会が民主主義や自由・平等といった概念に対して抱いている拒絶の背景をあらわにしていきます。
著者の主張は、本来のイスラームは、西欧的な意味での民主主義や自由・平等といった概念を共有しており、現在見られる、反西欧主義、反民主主義といった思潮は、各時代の権力者が自らの権力を維持するために作りだしてきたものに過ぎないというものです。さらに、現在のイスラーム復古主義や原理主義もまた、彼らの主張、権力奪取に都合の悪い民主主義などに反対しているに過ぎません。著者の主張は、多くの資料の分析に裏付けられており、非常に説得力があるものです。
一方で、その結果として、西欧での側のイスラーム脅威論や文明の衝突といった主張も根拠の無いものであることが分かります。
イスラーム諸国の現状、特にアフガニスタン、イラク、スーダンなどの現状には暗澹たるものがありますが、著者の主張はこれら諸国の市民に希望の光を与えるものです。
こうした著者の主張の中には「政教分離」も含んでいるため、多くのイスラーム主義者からは強い反論を受けています。また、西欧民主主義の無謬性・正当性を安易に受け入れており、無批判にすぎるという反論もあるでしょう。
しかし、これら批判はあるにせよ、著者の主張には、今後のイスラーム社会や市民の歩むべき道を示すものを含んでいることは間違いないと思います。
最近のコメント