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黒川紀章「中銀カプセルタワー」2007/05/27 05:56:07

中銀カプセルタワー(2007年5月26日撮影)

中銀カプセルタワー
黒川紀章/黒川紀章都市設計事務所
中央区銀座8-16-10
1972年
(2007年5月26日撮影)

黒川紀章さんと言えば、都知事選に立候補して、すっかり「変なオジサン」と化してしまった観がありますが、私が子どもの頃は、度々マスコミに露出して「『建築家』というカッコイイ職業があるんだ」と知らしめてくれた人です。大学受験のときに建築学科を受けるべきか否か迷ったその遠因の一つは多分黒川さんにあります(結局、建築学科は受験しませんでしたが)。

さてこの建築は、黒川の初期の代表的建築であり、「メタボリズム」という建築運動(?)の代表的な作品でもあります。

コンクリートの箱を積み重ねたようなその外見は、ユニット型のカプセル住宅(マンション)です。コンクリートのユニットは交換可能なのだそうです。

黒川紀章都市設計事務所のサイトから引用すると

「世界で初めて実用化されたカプセル建築。1960年代前後に、イギリスのアーキグラムグループや、フランスのポールメモン、ヨナフリードマン等、建築を脱構築して、その部屋をカプセルとして自立させたり、メガストラクチャーにカプセル建築をとりつける構想と同時代性をもっている。

ここでは、プレハブ(量産)でありながら多様性という新しい質を表現できるかどうかという新しい課題の対する挑戦と、自我の自立という個人主義を経ることなく近代化してしまった日本への批判として、自立する個の空間を目指している。  技術的には二本の高張力ボルトのみでコンクリートコアシャフトに取付けられたカプセルは、実際に取りはずして新しいカプセルと交換されるよう、技術開発がなされている。 カプセル建築は、単身者用の宿泊、デン(書斎)として想定されたが、家族用としては、数個を扉でつなぐことによって可能となるよう計画された。 カプセルの内装は、電化製品や家具、オーディオ、TV、電話まで工場でセットされ、現地でクレーン車によって吊上げれらてシャフトに固定された。」

なんだか、大阪万博(実際に行ってはいませんが)のパビリオンが街中に出現したみたいな感じです。当時の未来のイメージをそのまま実現させてしまった、コンセプト優先の建築だと思います。だからこそ、評価もされ、批判もされる建築だったわけです。しかし、施主の人はずいぶん「太っ腹」だったんですねぇ。

マンションですから、住人の決定により立替が決まったそうです。子どもの頃夢見た「未来」が消えてしまうという奇妙な寂しさを感じています。

【参考サイト】
黒川紀章建築都市設計事務所
社団法人日本建築学会「中銀カプセルタワー保存要望書」(2006 年7 月26 日)

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