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増田弘「石橋湛山‐リベラリストの真髄」(1995年)2009/10/06 05:07:53


増田弘「石橋湛山‐リベラリストの真髄」中公新書(1995年)

出版年が1995年とやや古く、通年的に湛山の主張が紹介されるので、個々のエピソードを軽く読んでしまうと。さらっと、印象も深く無く読み進めてしましそうです。

しかし特に、明治期から戦前期の東洋経済新報社論に関する短い個々のエピソードは、その時代の常識や暴力的な統制に対しても毅然と(検閲で止むを得ないときは遠隔表現を使って)批判をするすがたは「鬼気迫る」ものを感じます。清沢洌は「日本人は戦争に信仰を有していた。日支事変以来、僕の周囲のインテリ層さえことごとく戦争論者であった。…これに心から反対したものは、石橋湛山、馬場恒吾両君ぐらいなものではなかったかと思う。」(暗黒日誌Up.71)と述べています。完全普通選挙、議院内閣制の擁護、統帥権を盾にする軍部の痛烈批判、日中戦争の終結と中国へのオープンドア政策と、旧体制に対する基本的批判を全て網羅しています。

太平洋戦傷終結後は、日本再生のため政界に進出しますが、官僚出身の吉田茂の外交官らしい権謀術数とはそりが合わず、党人派鳩山一郎と連合を組みますが、鳩山の郷愁的ナショナリズムによる日本再武装論とは相いれませんでした。

第一次吉田内閣の大蔵大臣として入閣するものの、GHQのデフレ政策の指示に対し、日本は不完全雇用状態にあるとして、完全雇用へ向けての積極財政を主張、さらに、進駐軍の経費が、政府予算の3分の1を占め、かつその中には占領政策に無関係な私的使用が見られる事などを明らかにして、進駐軍経費の削減をねらったようです。その結果、GHQの政策への不服従、進駐軍経費の削減要求などに、頭にきたGHQが湛山を公職追放に指定したようです。筆者のインタビューに対し、当時民政局のケーディス大佐は、「湛山の戦前のリベラルな主張は知らなかった」と答えたそうですし、当時経済科学局財政課長ビープラットは、「湛山後の蔵相はイエスマンばかりでやり易かった」と答えているそうです。旧体制の日本であれ、連合軍の占領下であれ、信念に従って意見を主張する気概がみてとれます。

透徹した目で時局を適切に分析し、けして権力におもねないないというジャーナリスト、自由主義、民主主義、世界平和をなんのてらいもなく主張した政治家、このような傑出した人物を我々はまた生み出すことができるのでしょうか。



前坂俊之「太平洋戦争と新聞」(2007年)2009/10/08 05:03:45


前坂俊之「太平洋戦争と新聞」講談社学術文庫(2007年)

満州事変から終戦までの、新聞の報道を仔細に追跡し、新聞が戦争にいかに関わっていったかを検証しています。分析の対象は、主に朝日新聞と毎日新聞ですが、これは当時の2大紙であり、熾烈な拡張競争を続けていた新聞社であるためです。また、東京・大阪2体制をとっていたので、大阪の論調を中心に分析されます。なお、読売が朝日、毎日と肩をならべるようになるのは、1942年の新聞統合で報知との合併によります。

大まかに言えば、戦争開始当初から、有力各紙は基本的に、軍部の意向に従う戦意高揚記事、論説に埋まっています。戦争記事は、拡張競争の絶好の材料とされ、各社競って戦意高揚キャンペーンを展開していきます。記事の内容も、中国軍や英米を、罵詈雑言といっても良い文調で非難しています。

日本政府の交渉に関しても、その弱腰を非難し、強硬外交を求める記事が殆どとなります。

軍部の専横が続き、五・一五事件や、二・二六事件に至る過程では、批判的論調も垣間見えますが、既に言論統制の進む中、戦争に迎合せざるを得ない内部事情が見えてきます。

結局、主要紙は最後まで戦争のプロパガンダ・メディアとしての役割を果たすことになります。こうした中で、西日本新聞などの一部の地方紙では、軍部の意に沿わない論調を主張つづけています。しかし、それらの主張も、在郷軍人会による不買圧力、軍部の暴力をチラつかせる威圧、広告主への圧力等により屈服させられて行きました。

こんな中で、文芸春秋が、その新聞評で各社の軟弱ぶりを、繰り返し批判しているのは注目に値します。

そして、何といっても特筆しなければならないのは、石橋湛山の東洋経済新報です。軍備不拡大、植民地の放棄、中国への独立援助、英米との交渉、戦線の不拡大、軍部専横への批判といった論説を掲載し続けます。統制が厳しくなった後も、社内の反他派を押し切って、検閲対策で表現に苦労しながらも批判的論説を続けました。まさにラジカルなリベラリストでした。

新聞社に限らず、雑誌でも放送局でも、私的企業として収益を求める(販売部数の拡張、視聴率の拡張)なかで、戦争は利益を生む題材として、強い魅力を持っており、またその内容のコントロールを軍部が容易になしうるという危険も大きなものです。軍部の暴力的な専横に対して対抗することも相当困難なことです。

こうした戦時下メディアの困難は、現在のアメリカでも顕著に見られているようです。一旦戦争が始まってしまえば、また同じことが繰り返されるのは明らかです。戦争が始まる前に、メディアは何をどう伝えるのか、始まってしまったら、どのように戦争の道具とされることを防ぐのか。重要な課題が今も突き付けられています。


### それにしても石橋湛山という人は凄いですね。言論人の中でも図抜けた存在です。




辰野金吾・葛西万司「旧盛岡銀行本店」2009/10/13 04:55:17

辰野金吾・葛西万司「旧盛岡銀行本店」(2009年10月10日撮影)

2009年10月10日撮影
旧盛岡銀行本店(現岩手銀行中ノ橋支店)
設計:辰野金吾・葛西万司
岩手県盛岡市中ノ橋通一丁目2番20号
竣工:明治44年(1911年)4月

盛岡市中の橋の西側に旧盛岡銀行本店があります。平成6年(1994年)国の重要文化財に指定をうけるながら、)現在も岩手銀行の中ノ橋支店として利用されています。

一見して、レンガ造りが「東京駅みたい」なわけですが、その通り、辰野金吾と葛西万司の設計です。

以下説明文から。

「この建物は、旧盛岡銀行として明治四十四年四月に竣工しました。設計者は日本銀行本店、東京駅などを手掛けた明治洋風建築界の権威、辰野金吾博士と盛岡出身の葛西萬司工学士の両氏のてによるもので「赤レンガ」の愛称で親しまれています。
構造等は、一部三階建てとなっておりその床面積は千二十平方メートルに達し煉瓦組積造のルネサンス様式で統一されております。外部は白色花崗岩によりバンドを巡らして横線強調し採光用のドーマー窓とドーム屋根を組合せて、凹凸の多平面計画で建物に陰影をつける等、同様式の特徴を顕著に現しております。特に内部は一、二階の吹き抜けや木製の飾り柱のコリント様式柱頭、天井は石膏くり型、各室入口枠の彫刻など意匠に富みクラシカルな雰囲気を作り出しております。
建築当時の姿を完全な形で伝え、且つ現在も創建当初の目的でしようされている建物の重要文化財指定は、全国でも最初のものであります。」

【参考サイト】
岩手銀行トップページ
ホーム > お楽しみコンテンツ > 県内の文化遺産 |中ノ橋支店のご紹介
ウエブもりおかホーム>まちづくり>もりおかの環境>盛岡市の保存建造物

【参考文献】



ルイス・ハーツ「アメリカ自由主義の伝統」(1994年)2009/10/17 06:12:10


ルイス・ハート「アメリカ自由主義の伝統」講談社学術文庫(1994年)

原著1955年のアメリカ政治学の古典中の古典。文章は難解。おまけに、政治学の常識を前提にしているので、ロック以下、政治学者、哲学者、歴史家、政治家等の指名が縦横無尽に言及されますが知らない人ばかりで、正直読むのが大変です。

理解できた範囲で、大まかに言えば、ヨーロッパとは異なり、歴史上封建制度を経験していないアメリカは、「生れながらの自由主義社会」であり、自由主義を絶対化した国民的信念「アメリカニズム」の支配する国であることです。

封建制度が存在していないアメリカでは、その「反革命」の発生を 心配しなくて良い訳ですが、同時に社会主義の「革命」も心配する必要はありませんでした。絶対化された自由主義のアメリカニズムの下では、保守派<ホイッグ>は、存在していない封建制度から脅威を受けることもありませんし、すり寄ることもできません。また、革新派<デモクラット>も社会主義に影響されることはありません。何故なら、アメリカの、小資本家、土地保有農民、プロレタリアートは、みなプチブルジョアジーとしての強いアイデンティティーを有しており、プロレタリアート階級の階級闘争は発生しようがないのです。

大恐慌時に、久々にデモクラトはホイッグから政権を奪うとともに、ニューディールという改革政策を実行します。しかし、一見この社会主義的政策も、実態はアメリカニズムのなかでの、プラグマティックな実験にすぎず、社会主義とは無関係ものであったことが論じられます。(当然、ホイッグは「社会主義」「共産主義」といってデモクラトを非難しますが)

その後、ホイッグは政権を奪還します。この中で、かつてパリコミューンに冷淡な態度をとっていたアメリカは、ロシア革命に対しては、完全に否定的な態度をとります。絶対化された自由主義にたいする脅威と見えたロシア革命から冷戦の発生は、米国内部には過激な政治ヒステリーを巻き起こします。「赤狩り」です。この現象は、マッカーシーの様な特定の政治家の資質によるものではなく、絶対化されたアメリカニズムに根源をもつものです。米国外部に対しては、絶対化されたアメリカニズムが外国においても普遍的価値をもつと考え、諸外国と軋轢を起こしていくことになります(日本や西ドイツの占領が引き合いに出されています)。

この後、著者は、アメリカが諸外国との接触を続けることで、絶対化されたアメリカニズムを相対化することで<成人になる>であろうといっています。米ソ冷戦下での、アメリカの進むべき道は、そこにあると考えていたようです。さてハーツのの著作は1955年ですから、本書はここで終わりです。

そこで、この後のアメリカを追ってみましょう。この後のアメリカは、公民権運動、ベトナム反戦運動等を経験し、<成人>の道を進んでいたかのように思われました。

しかし、レーガン政権の誕生から、再び逆転が始まりました。ホイッグの再興、アメリカニズムの世界への絶対的適用が開始されます。

ブッシュJrの9.11以後は、かつての赤狩りの集団ヒステリーが再発したかのようです。国内の反戦派反対派はもちろん、反対意見を持つ欧州諸国への激しい非難、捕虜にしたテロリストは、犯罪者としての人権も、戦時捕虜としての人権も認めないという、非論理的な行動。

しかし、2008年再び針が触れます。デモクラトの反撃、オバマ大統領の誕生です。オバマの政策は、改革政策です。そんな中で現在争点となっている、医療保険改革。オバマ大統領はプラグマティックな政策として進めているわけですが、ホイッグの政治的反発として「社会主義」「共産主義」という言辞を弄しています。ニューディール政策とその反発の過程と同じです。一方、オバマ大統領の誕生自体、アメリカニズムの<成人>への歩みを期待させるものです。

ハーツ自身は一つの変数への単純化は分析の道具であり、全てを説明するものではないと明確にいっていますが、ハーツ以後のアメリカもハーツの道具立てで色々見えてくるものがあるように思います。

古典中の古典で、新しい世代からの批判を多く受けている論文ですが、現在読み返す価値は非常に高いと思いました。


現在品切れ注なのが残念です。復刊してほしいですね。

【復刊ドットコム復刊リクエストページ】
ルイス・ハーツ「アメリカ自由主義の伝統」講談社学術文庫




葛西万司「旧盛岡貯蓄銀行(盛岡信用金庫本店)」(1929年)2009/10/18 04:43:34

2009年10月10日撮影: 旧盛岡貯蓄銀行(盛岡信用金庫本店)

2009年10月10日撮影
旧盛岡貯蓄銀行(盛岡信用金庫本店)
設計:葛西万司(辰野金吾の後輩で共同事務所を経営していた人)
岩手県盛岡市中ノ橋通一丁目4番6号
竣工:昭和2年(1927年)

旧盛岡銀行の角を曲がるとすぐに、旧盛岡貯蓄銀行(現在、盛岡信用金庫本店)を見ることができます。昭和52年に盛岡市保存建築物指定をうけるながら、)現在も盛岡信用金庫の本店として利用されています。

辰野の後輩の葛西の設計です。列柱が特徴のネオ古典様式でしょうか。昭和初期の金融機関建築をよく現しています。

以下「盛岡信用金庫本店建物」説明文から。

「昭和52年12月、盛岡市の保存建造物に指定されています。
この建造物は、昭和2(1929)年に盛岡貯蓄銀行の店舗として完成、その後、昭和33(1958)年に<もりしん(盛岡信用金庫)>が譲り受け本店としたものです。
設計は岩手県出身の葛西萬司。建物の主体構造は、鉄筋コンクリート造り。外観は、石堀で飾られた花崗岩の壁面と正面にとっしりと立ち並ぶ6本の列柱。内部は1階の営業室などに照明器具、柱の装飾、2階各部屋の扉と上部に埋め込まれたカラフルなステンドグラス、柱、天井の石膏レリーフ模様などの装飾には、大正時代の近代デザインの影響がうかがえます。」


【参考サイト】
盛岡信用組合トップページ
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ジョージ・オーウェル「動物農場―おとぎばなし―」岩波文庫(1945年)2009/10/21 02:55:03


ジョージ・オーウエル「動物農場―おとぎばなし―」岩波文庫(1945年)

「カタロニア賛歌」と並ぶオーウェルの代表作。ソ連のスターリン体制を風刺するものですが、副題の通り豚などの家畜が人間のように会話をする「おとぎばなし」の様式になっています。

動物たちがレーニン、スターリン、トロツキーや労働者一般に擬せられ、発生する事件もソ連の事件に比せられるようです。この意味では、非常に直接的なソ連批判の書です。しかし、ソ連が崩壊して20年が経過した現在ならば、普遍的な社会批評として読むことができます。




スタインベック「アメリカとアメリカ人」2009/10/28 01:56:40


ジョン・スタインベック「アメリカとアメリカ人」平凡社ライブラリー(2002年)

原著は1966年発表。アメリカがベトナム反戦と公民権運動で騒然としていた時期にスタインベックが著したアメリカ論。アメリカに対するするどい批判と愛情を込めた作品です。




ロック「市民政府論」2009/10/29 01:38:59


ロック「市民政府論」岩波文庫(1968年)

今更の古典中の古典です。「アメリカ独立宣言の原理的核心」(表紙)と言われるだけあって、自然法や政府の改廃権の考え方が現在のアメリカでも貫徹されていることがよくわかります。銃規制への反対や公的医療保険への反対なんていうのも、「ロック原理主義」と見ることができそうです。一方、自然に対して加えた労働が価値を生むという考え方は、マルクスへも繋がっています。

それにしても、民主主義の所以をロックにみる彼の国々と、この国の落差を痛感します。




ウォーカー「箱舟の航海日誌」2009/10/30 02:03:20


ウォーカー「箱舟の航海日誌」光文社古典新訳文庫(2007年)

イギリスではよく知られた児童文学の古典だそうです。本書にも、かわいらしい挿絵が複数掲載されています。典型的なおとぎばなしの形式で動物たちと人間が様々な会話を交わします。

ノアの洪水前の動物たちは皆無垢であり、全てが草食でした。ところが、箱舟に乗せられた動物たちの中に、一匹だけ肉食を知る「悪の」動物が紛れ込んでいました。このために、無垢な動物たちの間に変化がおこり、「悪」が蔓延していきます。

動物たちやノアの家族たちの会話は子供にとっても楽しいでしょうが、全体のストーリーは子供にとって面白いのでしょうか。むしろ、イギリスで「古典」の扱いを受けているのも、ストーリーが大人から見て寓意に満ちているためではないでしょうか。




レーヴィ「天使の蝶」2009/10/31 02:05:50


レーヴィ「天使の蝶」光文社古典新訳文庫(2008年)

イタリアの作家で、第2次大戦中にアウシュビッツに収容された体験をもつレーヴィによる短編集です。ユーモラスかつ奇怪な物語が綴られています。

著者は化学者でもあるということで、設定には奇妙な技術が色々と登場しますが、SF的というよりも幻想的です。