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吉見俊哉「親米と反米-戦後日本の政治的無意識」2010/03/19 05:47:14


吉見俊哉「親米と反米-戦後日本の政治的無意識」岩波新書(2007年)

吉見俊哉、テッサ・モーリス・スズキ「天皇とアメリカ 」集英社新書(2010年)の吉見氏の前著。日本の文化表象とその背後にある親米意識と反米意識と流れをまとめるが、ちょっと流暢すぎるかな。

「自由な国」アメリカのもたらした最初にして最たるものは「モガ」ですね。消費としてのアメリカ文化が既に根付いていたわけです(親米)。この後は、鬼畜米英一色となり破滅の道を進んでいきます(反米)。

戦後は表向きは親米、うっ屈した反米。旧日本軍基地の町は米軍基地に摂取されれ、それぞれ地元の六本木、原宿あたりはアメリカ最先端カルチャー・エンタテイメントの街。そして日本人若者が集うファッショナブルな街へ変容していく。本土では、米軍基地縮小に伴い、福生、横須賀などが次の文化発信源となっていき、本土内でのアメリカ軍のプレゼンスは縮小していきます。いずれもアメリカカルチャーへの親米、基地問題での反米というアンビバレントな関係です。

基地問題は、沖縄に全て押しつけて、本土は高度成長期へ、「テレビからはアメリカドラマ」が奔流のように流れ出し、住居と電化製品のアメリカ化は日本人の目標となりました。「民主化とは電化製品のことである」と読める松下電器の広告は「共産主義は、(社会主義と)電力である」というレーニンの言葉を思い出させる。

こうして、戦後を通じてのインタラクションは、日本人に「内なるアメリカ」(親米)を形成してしいった。一方、日本人は東アジア共同体の形成、グローバルな経済文化交流を通じて、この「内なるアメリカ」を再度外化して顧みる必要があるのだろう。



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