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半藤一利「昭和史 1926-1945」2010/05/05 06:00:56


昭和史 戦後篇 1945-1989 (平凡社ライブラリー)

講演会のスタイルでまとめられた「昭和史」の戦後編。ストーリーというより、目に付いた事実・記述をランダムに抜き書きします。

昭和20年秋(渋谷駅のガード下、作家山田風太郎の日記より)「赤尾敏大獅子吼、軍閥打倒!(p.91)」(豆短の赤尾先生ではありませんよ。)戦後一貫して街宣車でアジテーションを行っていた、あの右翼の赤尾敏先生です。戦後すぐに活動を開始したんですね。

昭和21年1月24日幣原首相とマッカーサーの会談開催。幣原は昭和3年(1928)不戦条約の日本全権でした。不戦条約は結局日本でも批准されました。国際法上は現在も有効だそうです。この不戦条約は、条文を読むと憲法9条によく似ています。ほとんどそっくりです。幣原の秘書が、その日の、幣原とマッカーサーの会見の記録をのこしています。「(幣原は)かねて考えた世界中が戦力を持たないという理想論を始め、戦争を世界中がしなくなるようになるには、戦争を放棄するということ以外はないと考えると話し出したところが、マッカーサーは急に立ち上がって両手で手を握り、涙を目にいっぱいためて、その通りだといいだしたので、幣原は一寸びっくりした。しかしマッカーサーも、長い悲惨な戦争を見続けているのだから、身にしみて戦争はいやだと思っていたのだろう。(p.160)」となっています。マッカーサー側の証言はむしろマッカーサーから幣原に提案したことになっているようですが、マッカーサーの発言は一貫していないのが難点です。第9条は、その後ののGHQサイドの原案で具体化したものかもしれませんが、いずれにしろ文面から見て不戦条約は基本的な出典となっているのは疑問の余地はありません。すでに日本が批准済みの国際法を、憲法にとりいれたということになります。

GHQ草案にバタバタする内閣ですが、昭和21年2月22日、「(幣原)首相が(天皇に)経緯とGHQ草案の内容、極端にいえば「天皇は象徴」「主権在民」「戦争放棄」の三原則を伝えると、天皇は―幣原平和財団編「幣原喜重郎」によれば―次にように言われました。「最も徹底的な改革をするがよい。たとえ天皇自身がら政治的機能のすべてを剥奪するとほどのものであっても、全面的に支持する」(p.197)」。さらに「もう一説に、出典は不明なのですが、こうきっぱり言ったとも伝わっています。「自分は象徴でいいと思う」」。内閣が、国体護持だの君臣一如だのと結論の出ない議論をしていたときに、天皇の意見で、一転GHQ案受け入れですから、まさに第二の「聖断(p.197)」。当時の政治家の統治能力の低さが窺われます。陸軍海軍に手もなくひねられるのは当然か。

極東軍事裁判のA級戦犯の裁判での投票内容(推定)は以下の表の通り。(p.243)

11判事投票内容推定(P.243)
被告荒木大島木戸嶋田●広田●東条●土肥原●松井●武藤●板垣●木村
米国判事×××××××××
英国判事×××××××××××
中国判事×××××××××××
フィリピン判事×××××××××××
ニュージーランド判事×××××××××××
カナダ判事××××××××
オランダ判事×××××××
オーストラリア判事○○
ソ連判事○○
フランス判事○○
インド判事○○
○:死刑反対、×:死刑賛成

上の表を見てすぐ気がつくのは、英国、中国(当然蒋介石政府)、フィリピン、ニュージーランドが全ての被告の死刑に賛成していることと、反対に、オーストラリア、ソ連、フランス、インドは全ての被告の死刑に反対していること(オーストラリア、ソ連は天皇戦犯では強硬派と考えられていますが死刑には反対していた)です。結局、被告が死刑になったかどうかは、米国、カナダ、オランダ3カ国のうち2カ国以上が死刑に賛成か否かで決まりました。

松井(上海派遣軍司令官)は南京事件、板垣征四郎(第7方面軍(シンガポール)司令官)はシンガポール華僑虐殺事件、武藤章(第14方面軍(フィリピン)参謀長)はマニラ大虐殺、木村(ビルマ派遣軍司令官)は泰面鉄道での捕虜虐待、土肥原(在満特務機関長)は満州での残虐行為といったように、絞首刑になった7人の内の5人はA級戦犯ですが、実質的にはB・C級戦犯の罪状を前提にして死刑求刑にされたように見える(もちろん裁判上おかしい)。いずれも、米国、英国、中国(当然蒋介石政府)、フィリピン、ニュージーランド、カナダ、オランダが全て死刑に賛成、オーストラリア、ソ連、フランス、インドが全て死刑に反対というのにも符合するというのが著者の意見。結構説得力があるのではないでしょうか。一方、東条(首相)と広田(外相)は、本来のA級戦犯の罪状で裁かれたと言えるでしょう。東条は、米国、英国、中国、フィリピン、ニュージーランド、カナダ、オランダの七票、一方文民の広田(外相)は、米国、英国、中国、フィリピン、ニュージーランド、カナダの賛成とオランダ、オーストラリア、ソ連、フランス、インドの反対に分かれ、一票差で死刑となりました。アメリカとカナダが何で文民の死刑に賛成したのだろうか?著者は、自殺した近衛(首相)の身代わりに、軍人1人(東条)、文民1人(広田)に責任を負わせたのではないかと見ているようです。

他にも、天皇とマッカーサーの会見(随分と具体的な政治外交情勢について話し合っています)だとか、非武装をめぐる吉田茂と米国側のやり取りとか面白い話がいっぱいありますが、今日はこれくらいに。