Eduardo Paniagua, "Lo Mejor De Las Cantigas" ― 2007/04/01 05:40:56
Las Cantigas de Santa Maria(聖母マリアのカンティガ) のCDの感想です。
Lo Mejor De Las Cantigas, The Best of The Cantigas of Holy MaryMusica Antigua, Director:Eduardo Paniagua
PNEUMA, PN600
「聖母マリアのカンティガ」は、13世紀のレオン・カスティーリャ国王アルフォンソ10世(1221-1284)によって編纂されたもので、約400曲の楽譜が掲載されています。アルフォンソ10世は、学問・芸術の保護に力を注いだことから「賢王(El Sabio)」の名で知られています(政治的にはあまり有能ではなかったようですが)。一部の曲は王自身の作とも言われています。
ガリシア語による歌詞の内容は、聖母マリアによる救済や奇跡を讃える物語が中心で、世俗的・庶民的な内容となっています。欧米では大変人気のある楽曲で多数のCDが発売されているようです。
Eduardo Paniaguaは、1952年に、マドリッドの音楽家一家に生まれました。兄Gregoiroが指導し、スペインの古楽を中心に演奏活動をおこなうAtrium Musicaeで演奏家としての活動を始めました(Atrium Musicaeによる「聖母マリアのカンティガ」の録音(当時はLP)も名盤と言われています)。
Eduardoは、1983年に独立し、1994年にはMusica Antiguaを設立するとともに、自身のレーベルPneumaを創設し、「聖母マリアのカンティガ」の全曲録音を開始します。
「聖母マリアのカンティガ」には、イスラムやユダヤの音楽の影響が濃いとされています(写本の挿絵には明らかにムスリムやユダヤ人の楽師が描かれているそうです)。Eduardo Paniaguaの演奏も、アラブ音楽等の影響を十分に考慮しながら、スペイン民衆音楽の香りを感じる親しみやすいもので、多くのCDの中でも代表的な演奏であると思います。
このCDは、既録音のCDの中からの抜粋された20曲で構成されており、言わば「ベスト版」で、価格も手頃。そうした意味でも、最初に聞く「聖母マリアのカンティガ」としてお薦めだと思います。
最後に、「聖母マリアのカンティガ」に関する日本語のサイト。CDのレビューやリンク集、また多数の挿絵(ミニアチュール)を見ることもできます。
島田聡さんのサイト臼杵陽「見えざるユダヤ人」 ― 2007/04/06 23:18:15
臼杵陽「見えざるユダヤ人―イスラエルの〈東洋〉」 平凡社 (1998年)
の感想です。
ミズラヒームとは、非ヨーロッパ系出身、特に中東イスラーム世界出身のユダヤ人を指します。日本人にとって、ユダヤ人は、西欧におけるユダヤ人のイメージとしてしか知られていませんが、イスラエルにおいて、中東イスラーム世界からの移住者は、人口上文化上、さらに政治上も大きな位置を占めています。
彼らは、アラビア語を母語としヨーロッパ音楽よりアラブ音楽にシンパシーを感ずる人々であり、歴史的にはヨーロッパに置けるような組織的な弾圧を受けたことはありませんでした。しかしイスラエル建国により、中東諸国において反ユダヤ感情が高まり、イスラエルへの移住を余儀なくされてしまったのです。
彼らは、ヨーロッパ系ユダヤ人(シオニスト)により形成されたイスラエルにおいては、西欧系>東欧系>中東系>イスラエル国籍のアラブ人>パレスチナ人という序列に組み込まれ、「見えざるユダヤ人」となっています。
こうした実情から、彼らは、アラビア語文学などにより独自の文化、アイデンティティを形成しており、イスラエル・アラブの和解の可能性を象徴するような存在です。しかし、アラブとの和平を進めたラビン首相の暗殺犯はイエメン系であり、問題の複雑性を認識させられます。
日本人の知らない、イスラエルの実情を知る貴重な一冊です。
立山良司「揺れるユダヤ人国家-ポスト・シオニズム」文春新書(2000年) との併読をお薦めします。
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フランソワ・トリュフォー「華氏451」(DVD) ― 2007/04/07 03:07:09
華氏451(Fahrenheit 451)
1966年/イギリス/フランス
キャスト:オスカー・ウェルナー/ジュリー・クリスティ/シリル・キューザック/アントン・ディフリング/アレックス・スコット
スタッフ:製作:ルイス・M・アレン
監督:フランソワ・トリュフォー
脚本:ジャン・ルイ・リシャール/フランソワ・トリュフォー
撮影:ニコラス・ローグ
DVD発売元:ユニバーサル・ピクチャーズ・ジャパン
の感想です。
若い人達がSFだと思って見ると、チョッと辛いのでしょうが(最近のCG映像を見慣れた人から見たら、特撮部分は「笑っちゃう」でしょう)、でも本作をSFと思って見てはいけません。
さらに、トリュフォー、批評家共に認める大失敗作だった…らしいのですが、私にはとても面白い映画でした。
双方向壁掛けテレビから、人々に「従兄弟たち」と呼びかけるTVキャスター。その世界に文字はない(ちなみに映画冒頭のタイトルバックも一切文字無し)。
知識を得ること(即ち、書物を読むこと)により、反社会的な思想が生まれる。知識を得て、社会に疑問を抱き、批判的に思考することは全て禁止されるべきなのだ。
だから、「消防士(fireman)」達は、反社会分子の家宅を捜索し、書物を押収し、焼却する。
その書物に興味を持ってしまい、現状に疑問を感じ始めてしまった一人の消防士は、やがて…
双方向壁掛けテレビは、間違いなく、私の子供の頃の「未来」(年が分かりますね)。そしてその「未来」は今や現実となっています。
では、文字のない世界、知識、批判的思考の禁じられた世界は?
もしかすると、これも現実…
なお原作が、
レイ・ブラッドベリ(宇野利泰訳)「華氏四五一度」早川文庫(2000年)映画は、原作とは若干ストーリー、特に結末が異なるそうです。
そして、本作品の撮影日記が、
フランソワ・トリュフォー(山田宏一訳)「ある映画の物語」草思社(1986年)現在品切れ、POD版が入手可
で読めますが、何れも未読なので、何時か感想を書きたいと思います。
ちなみに、レイ・ブラッドベリは、マイケル・ムーアの「華氏911」のネーミングには、かなりご立腹だそうな。
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前川國男「日本相互銀行本店」 ― 2007/04/08 22:00:00
日本相互銀行本店
前川國男
中央区八重洲1-3-3
1952年
(2007年4月8日撮影)
呉服橋交差点にある、1952年に竣工、翌53年の建築学会賞を受賞した前川國男の代表的オフィス建築ですが、いよいよ取り壊しの様です。テナントも出てしまい、ATMコーナーも廃止になっています。(ちなみに、日本相互銀行→太陽銀行(普通銀行への転換)→太陽神戸銀行(合併)→太陽神戸三井銀行(合併)→さくら銀行(行名変更)→三井住友銀行(合併)となり、しばらく前に支店は統合廃止されてATMコーナーだけになっていました。)
このビル、今となっては、古くて狭くて使いにくい(?)ビルになってしまったのでしょうが、当時としては最先端のオフィスビルディングでした。
鉄筋コンクリートの耐震壁をなくして、建物の軽量化を図りながら、執務室を広いフリースペースとして確保していました。また、アルミ製サッシュやプレキャスト・コンクリート・パネル等当時最先端の工業化製品を用いています。
軽量化と工業化という技術的合理性を通して、建築を組み立てていくという思想(「テクニカル・アプローチ」)が実現された画期的な建築です。
Docomomo Japan「旧・日本相互銀行本店の保存に関する要望書」を引用すると、
「前川國男(1905~1986年)は、戦前にフランスへと渡り、20 世紀を代表する世界的な建築家であるル・コルビュジエ(1887~1965 年)に学び、帰国後、亡くなるまでの半世紀の長きに渡って、戦前戦後の日本の建築界をリードした建築家です。
貴建物は、まだ本格的な建築がほとんどつくれなかった戦後の復興期に、日本の新建築の進むべき方向を示そうという、前川の高い志に支えられてつくられたものです。彼は、近代技術を積極的に活用した新しい建築をめざし、率先してその方法を開発しようとしました。このような彼の考え方は、「テクニカル・アプローチ」と呼ばれました。貴建物では、徹底した軽量化を図るために、2 階までを鉄骨鉄筋コンクリート造、3 階から9 階までを全溶接の鉄骨造にし、外壁にはアルミサッシュと軽量のコンクリートパネルを採用しました。鉄骨の全溶接やアルミサッシュの採用は日本最初であり、それらによって、1 階の大スパンの大きな営業室や、軽快でモダンな外観をつくりだしました。積極的に革新的な技術を適用した意味からも、「テクニカル・アプローチ」の最初の本格的な実践例として、ひいては、近代建築史上、また、建築技術史上において、特筆すべき建物です。」
外観からして三井本館ぐらいになれば、保存の話が誰にでも分かりやすいのでしょうが、このビルぐらいだと、専門家以外にはその価値が伝わりにくいのでしょうね。
現在、丸の内に対抗して、八重洲から日本橋かけて再開発機運があるので、この立替もその一環ということでしょうか。このビルの隣も大規模再開発が完成しつつあるし、交差点対角上の大和證券本店(このビルはクレージーキャッツの映画のロケに使われたそうです)も立替が決まっています。
銀行のオフィスとして利用保存は難しいでしょうから、本当なら、リノベーションの上で利用保存ができれば一番良いのでしょうが、経営的には困難かもしれませんね。大富豪の道楽としては良い趣味になると思うんですが…そういうお金持ちは日本にはいないんでしょうか。
【参考文献】松隈洋「近代建築を記憶する」建築資料研究社(2005年)
The Japan Architect, 57号, 2005年春号, 新建築社
【参考サイト】
Docomomo Japan「旧・日本相互銀行本店の保存に関する要望書」(2006年6月)
株式会社前川建築設計事務所
【リンク】
美しい空間 ~ 前川國男建築展: あさぎのアサブロ
建築家の転向と抵抗、丹下健三と前川國男: 轟亭の小人閑居日記 馬場紘二
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松井貴太郎(横河工務所)「三信ビルディング」 ― 2007/04/14 04:50:13
三信ビルディング
設計:松井貴太郎(横河工務所)
施工:大林組
所在地:東京都千代田区有楽町
1929年建築(1955年増築)
(2007年4月8日撮影)
地下鉄日比谷駅の上、日比谷公園に面した1929年(昭和4年)竣工のオフィスビルです。地下1階~1階は商店街、2階から8階がオフィスだったそうです。三井系の会社の本社が幾つか入っていたと思います。1階~2階は吹き抜けアーチ天井になっていてとても印象的でした。裏へ回ると、外観に違和感があったんですが、戦後増築されたためのようです。2005年1月に三井不動産より解体が発表されました。前に書いた「日本相互銀行本店」に比べれば、外観的にも特徴が分かり易いので、保存運動もかなり盛り上がっていたようですが、今月(2007年4月)から本格的に解体が始まったようです(写真には既に工事用の外壁が写っています)。
しばらく前までの勤務地が日比谷だったので、このビルの商店街には度々行ったことがあり、親しみ深い建物です。地下の蕎麦屋等に度々同僚と飲みにいきましたし、1階の有名な喫茶店にも何度も行ったことがあります(残念ながらハンバーガーは食べたことが無い)。初めての海外出張に行くためのパスポート写真もここの1階の写真館で撮りました。
建築に興味の無い人にはただの古いビルで、同僚の多くも「早く立て替えればいいのに」という感覚でした。外壁全面に剥落防止と思われるボルトを打ち込む工事もおこなわれていたので、メンテナンスコストも、結構かかっていたのでしょう。この界隈は、古くはライトの帝国ホテル(明治村に一部保存のあれ)や、比較的最近立て替えられた東京宝塚劇場など、歴史的な建物がみんな無くなっちゃっいましたね(あっ、日比谷公会堂がまだ残っているか…)。
ビルの名前からして、元々は「三井信託」の関係したビルだと思うんですが、よく分かりませんでした。直接の施主は「三信建物」らしいのですが、この名前にしても、「三井信託」の関係会社だったかと思われます。この会社は、戦後財界スキャンダル的な事件の舞台となった後、三井不動産に吸収されたようです。
検索すると、多くのサイトにこのビルの写真が掲載されているので、このビルの魅力に触れることができます。隣の日比谷三井ビル(三井住友銀行の本店が入っているビル)と一緒に再開発になるらしいのですが、やっぱり残念ですよね。
【参考】社団法人日本建築学会「三信ビルディングの保存に関する要望書」2005年3月
社団法人日本建築家協会「三信ビルディング保存に関する要望書」2005年1月
「三信ビル保存プロジェクト」
加藤雅彦「ドナウ河紀行」 ― 2007/04/15 23:00:00
加藤雅彦「ドナウ河紀行―東欧・中欧の歴史と文化」岩波新書 (1991年)
の感想です。
著者によれば、「中欧」とは単なる地理的概念(=中央ヨーロッパ)ではなく、「ドナウ河にのぞむ国々、…“ドナウネットワーク”によって結ばれたきた国々」(p.76)であって、ミルン・クンデラを引用して「『中欧』の“境界を正確に引こうとすること無意味であろう。中欧は国家ではない。それは文化であり、運命である”」(p.74)と言っています。
ドナウ源流のドイツから、オーストリア、チェコスロバキア、ハンガリー、ユーゴスラビア、ブルガリア、ルーマニア、ソ連と黒海に至るまでが紹介されていきます。
ハプスブルグ帝国領としての結びつき、オスマン・トルコの支配と独立の歴史、両大戦による変動等により、「中欧」が発展し、また阻害されいった歴史が理解されるとともに、バルカン諸国の民族問題の根本も明らかにされていきます。
こうした「中欧=ドナウ世界」の案内である本書は、1991年刊であるため、ソ連邦は未だ健在、ユーゴスラビアの内戦は勃発したばかり、チェコとスロバキアは分裂前と、時事性に欠けることは否めません。
しかし、それを割り引いても、ミッテルオイローパ(「中欧」=ドナウ世界)へのやさしい案内として、十分に新鮮で興味深い好著と言えるでしょう。
ルイス・ロサーノ他「聖母マリア頌歌集」スペイン古楽集成Ⅰ ― 2007/04/21 16:27:49
再び、Las Cantigas de Santa Maria(聖母マリアのカンティガ) のCDの感想です。
「聖母マリア頌歌集(12・13世紀)-賢王アルフォンソ十世の編纂による」スペイン古楽集成Ⅰルイス・ロサーノ指揮、死者の谷の聖十字架聖歌隊・児童合唱団
グレゴリオ・パニァグア指揮、アトリウム・ムジケー古楽器合奏団
ホセ・ルイス・オチョア・デ・オルサ(バリトンと総指揮)
イェンス・ウヴェ;エッガース(テノール)
ラウレンティーノ・サエンス・デ・ブルアガ(テノール)
監修:ロベルト・プラ
東芝EMI、TOCE-6251(廃盤)
廃盤中のこのCDを偶然大手ネット古書店で見つけて入手しました(何と995円で…凄い幸運!!。「童謡・民謡・その他」の分類の中に埋もれてました)。
1968年、コバルービアスのコレヒアータ(神学校つき教会)[ Iglesia Colegiata de Covarrubias, Burgos, Spain ]で録音されたもので、長く「聖母マリアのカンティガ」の代表的な録音でした。
解釈は、ヨーロッパ<スペイン>的と言えるもので、今から見れば、アラブ音楽やユダヤ音楽の影響が十分考慮されていないと言われるのかもしれません。しかし、これだけスペインの古楽の香りを楽しめる演奏は、現在では貴重とも言えます。
演奏は、全体として伸びやかで、実にゆったりした気持ちになれます。時折、録音場所の教会の外の小鳥の「さえずり」さえ聞こえてくるというのも、この盤独特の伸びやかさの象徴でしょう。
前に紹介した、エドゥアルド・パニァグア(Eduardo Paniagua)も打楽器奏者として、録音に参加しています(何と未だ10代です!!)。
色々検索してみましたが、海外でも廃盤中のようです。入手が極めて困難な状況にあるようなので、もし幸運にもどこかで見つけたら、躊躇無く入手することをお薦めします。
岡田恵美子「イラン人の心」 ― 2007/04/28 10:33:42
またまた、ネット古書店で入手した
岡田恵美子「イラン人の心」NHKブックス[393]新装版、日本放送出版協会(1993年)の感想です。現在出版社品切れ。
著者は、ペルシャ文学者で、本書は、1963年から1967年までの4年間の若き日のイラン留学記です。
当初はイラン人気質に戸惑い反発しながら、イラン人の心を理解していく過程が、様々なエピソードを交えながら綴られています。また、研究の意義への疑問や将来に対する不安など、海外留学生なら誰でも陥る心理状態から、自信を取り戻していく過程も、本書のもう一つの重要なテーマとなっています。
学生寮の下働きのオバサン、オジサン達や、町の商店主といった庶民達との出会い、交流から、自己中心的で、お節介で、おしゃべり好きで…とった様々なイラン人気質に、辟易させられ、反発しながらも、徐々に親しみを覚え、理解を進めていく著者の心の動きに従って、私もイラン人気質を少しは理解できたような気がします。
さらに、教授達との交流からは、イラン人の誇りである歴史や文学に対する自負心の中から、庶民達にも通じる(チョッと自己中心的で陶酔的なところもある)「イラン人の心」への理解を深めていきます。
また、欧米やアジアからの留学生達との交流は、著者の精神的よりどころでもあり、各国気質の違いを更に認識することともなります。
そうした中、著者の親友となるのは、アメリカ人留学生で、2人は強固な「日米同盟」を形成しますが、アメリカは、やはり日本人にとって比較的理解し易い国なのでしょうか。もっとも、この親友は、(両親の大反対を押し切って)アラブ人青年と結婚してしまい、著者を驚かせ、また焦燥感を感じさせることにもなりますが(いかにもアメリカ人的な行動!?)。
現在から40年以上も前(東京オリンピックの前年!!)、現在とは全く異なり、日本にいてはイランに関する情報など殆ど知ることの出来ない時代に、単身イラン留学を実行した著者は、おそらく現在の我々が感じるよりもずっと強烈に、イランの文化、社会、そして「こころ」に出会い、それだけ深い理解を得たのではないでしょうか。
帰国後の著者は、ペルシャ文学の研究者として活躍し、多くの著書・翻訳書を著しています(東洋文庫は品切れが多いですが)。「ホスローとシーリーン」や「ライラとマジュヌーン」は本書中にも何度も登場します。
【主な著書・翻訳書】
岡田恵美子「隣りのイラン人」平凡社(1998年)岡田恵美子「ペルシアの神話 光と闇のたたかい 世界の神話 (5)」筑摩書房(1982年)
フェルドウスィー(著)、岡田恵美子(訳)「王書―古代ペルシャの神話・伝説 」岩波文庫(1999年)
フェルドウスィー他(著)、岡田恵美子(訳)「ペルシアの四つの物語」平凡社(2004年)
ハーンサーリー、ヘダーヤト(著)、岡田恵美子他(訳)「 ペルシア民俗誌」東洋文庫、平凡社(1999年)
グルガーニー (著)、岡田恵美子(訳)「ヴィースとラーミーン-ペルシアの恋の物語」平凡社(1990年)
ニザーミー(著)、岡田恵美子(訳)「ライラとマジュヌーン」東洋文庫、平凡社(1981年)
ニザーミー(著)、岡田恵美子(訳)「ホスローとシーリーン」東洋文庫、平凡社 (1977年)
【復刊ドットコム復刊リクエストページ】
イランつながりということで…。なんとも日本は情けない国だと思わされました。
【イラン人家族の強制退去】
出入国管理行政と砂上の楼閣的な規範: カタハタの学舎偽善と英断の境界: 凡爺いやはやBLOG
群馬県高崎市内のイラン人アミネ・カリルさん(43)夫妻: hotoke blog
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三野村合名会社 ― 2007/04/30 03:23:23
三野村合名会社
江東区清澄2-8
(2007年4月28日撮影)
深川清洲橋通に面した小さなビルです。入り口付近の装飾に特徴があります。昔路線バスに乗っていてこのビルを見て、非常に気になっていたんですが、何のビルか全く分かりませんでした。
しばらくして、古書店の店頭で300円均一で売っていた本(参考文献)に、このビルの写真を見つけて、やっと謎が解けました。
このビルは三野村合名会社(現在は株式会社のようです)の社屋で、昭和初期の建物と思われます。同社は、三野村利左衛門が、1823年(明治6年)に、三井大元方(持ち株会社のようなもの、後の三井合名会社の基)に倣って創設した三野村大元方を基に1914年(大正3年)に設立されたものだそうです。
三野村利左衛門というのは、幕末から明治初期にかけて三井の危機を救い、三井財閥の基礎を築いた経営者です。後に、三井より功績を称えられて、現在の 清澄2丁目(3,6,7,8,11,12番)に土地が贈与され、邸宅を構えました(跡地として江東区の史跡に登録されています)。隣地は、岩崎彌之助深川別邸(現在の清澄庭園)で、豪華さを競いあったものだそうです。この邸宅の跡(の極一部)に同社社屋があるわけです。
建築ガイドブック等をいろいろ調べてみたのですが、掲載されているものは見つかりませんでした。このため、建築年代等が全く分かりません。確かに、入り口の装飾以外には、あまり特徴が無いとも言えますが(建物の縁の部分にも装飾があります)。私はかなり気に入っているのですが、専門家からはそれほど評価されていないのでしょうか。
ネットで検索してもほとんど情報は見つかりませんでしたが、この建物は、映画やドラマの撮影にも良く使われるそうで、最近では、TVドラマ「華麗なる一族」でも使われたそうです。
外観から見る限りですが、非常に良く手入れされており、大事に使われているようです。小さなビルですが、今後も永く使用かつ保存してほしい建物です。
【参考文献】三野村清一郎監修、伊藤喬「三井近代化の演出者 三野村利左衛門」一光社(1973年)
【参考サイト】
三井広報委員会|三井史を彩る人々#三井の苦難を救った男 三野村利左衛門
江東区トップページ > 施設案内 > 文化財・史跡等 > 史跡 > 三野村利左衛門宅跡
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