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シング「アラン島」2009/11/20 06:00:00


シング「アラン島」岩波文庫(1937年)

シングは夭折したアイルランドの劇作家(1871-1909)です。アラン(諸)島はアイルランド西岸の沖にある三つの島から構成されています。ヨーロッパの辺境としてゲール語・ゲール文化の残る場所でした。シングがゲール語を学びゲール文化に触れるため、1898年、1899年、1900年、1902年の計4回アラン島に滞在した際の紀行文・エッセーです。厳しい島の自然、特に荒波に漕ぎ出すカラハ(地元の小船)で波に揉まれるシングの心の動き。奇妙なまでに素朴な島民との触れ合い。シングは当初戸惑いますが、徐々に慣れ親しんでいきます。ケルトらしし妖精話や不思議な体験談なども出てきます。ベニスの商人みたいに借金するのに肩の肉を担保にすることから始まる男女の騒動が面白かったですが、借金の担保に肩の肉というのはシェークスピアのオリジナルではなく、古くからヨーロッパにある説話のようです。それ以外にも、色々な古いヨーロッパの説話を連想させるものがあるようです。また、大西洋の大波が険しい岸壁を打つ激しさもすさまじい様子です。こうした点で、島はシングに多くのインスピレーションを与え、後にこの島を舞台にしたものなど幾つかの戯曲に結実しました。

こんな遠隔の地といっても19世紀末~20世紀初頭ですから、島民の多くは英語とゲール語のバイリンガル(女性は英語をあまり知らない場合がある)です。結構「息子がアメリカへ出稼ぎに行っている」という話は多く、「アメリカ出稼ぎ帰りの英語が流暢な男」も登場します。ナショナリズムの高揚とともにゲール語を守る運動が活発化し、学校でもゲール語を教え、ゲール語の印刷物も流通していたようです。ただし、ゲール語の共通語化がおこなわれていないようで、島の中の英語、ゲール語の読み書きが非常に堪能な少年でも、(本土の)ゲール語と英語で併記してある詩を読もうとして、地元のゲール語とは異なる本土のゲール語の意味がわからず、そこだけ英語の方を読むなんて話も出てきます。

定期船も(天候が許せば)通ってきますし、電信設備もあるようです。この島は個人所有地のようで、地代を払えない島民から担保を徴求するため、本土から多数の警官が渡航してきて、家畜など差し押さえする場面もあります(表紙扉にその時の写真)。

1937年の訳から改版もされていないので旧字旧かなですが、今から110年前のアイルランド辺境の思いを馳せて読むには結構合っているかも。

それと、歌人でシングなどアイルランド文学の翻訳をおこなった片山廣子(1878年-1957年)のエッセー「アラン島」というのを見つけました。
青空文庫:片山廣子「アラン島」




片山廣子が松村みね子のペンネームで翻訳したシング戯曲集

新しい訳はこちら。